非認知能力とは?
非認知能力についてのポール・タフ氏の本
非認知能力を育むボーク重子さんの本
非認知能力の権威、ヘックマン教授の本
小児科医のぼくが伝えたい最高の子育て(マガジンハウス)
非認知能力をエビデンスで語る:「学力」の経済学
レジリエンス、回復力を育む本3選
GRIT、やり抜く力を育むオススメの本2選
【感想・書評】大学受験生のやる気、意欲(非認知能力の1つ)を育むオススメの本2選
大学受験におけるやる気、意欲の重要性
意欲は人間の行動の原動力であり、学業成績、特に大学入試のような場面で極めて重要な役割を果たします。このような試験における意欲の重要性は、以下のように理解できます。
ただし、この「意欲」なるものは、本当に現前しているのでしょうか?「意欲の不在」こそが現前するのではないでしょうか?
以下に紹介する効果は、意欲そのものではなく、意欲の痕跡、意欲の補填物に過ぎません。
意欲とは、私達が欠如を感じるがゆえに求めるものではないでしょうか?意欲の不在を埋めるために、私たちは意欲を求める。しかし、その求めは決して満たされることはありません。なぜなら、意欲とは常に先延ばしにされ、到来しないものだからです。
大学受験という制度そのものが、意欲の不在を露呈しているのかもしれません。受験生は、自らの意欲ではなく、大学受験という制度に従属することを求められます。意欲は、制度の中で抑圧され、周縁化されます。意欲の不在は、制度の中心に座しています。
ですが、意欲の不在は、決して否定的なものではありません。むしろ、意欲の不在こそが、新たな可能性を開くのではないでしょうか。意欲に囚われることなく、意欲の彼方へと歩み出すこと。それこそが、真の意味での学びへの第一歩となるのかもしれません。
意欲は、確かに重要だと言われます。しかし、私達は意欲の重要性を語る前に、まず意欲の不在に向き合わなければなりません。意欲の不在を見つめ、その意味を問うこと。それこそが、大学受験という制度を乗り越える道であり、学びの本質に迫る道なのではないでしょうか。
また、以下のような虚構の彼方に、学習の真の意味が待っています。虚構を脱構築し、虚構の彼方へと歩み出すこと。それこそが、真の学習への第一歩と言えるでしょう。
持続的な努力
大学入試では、長時間の学習と準備が必要です。内発的動機づけ(対象や目標に対する純粋な興味や情熱)により、受験生は数ヶ月から数年にわたる努力を持続させることができます。
しかし、この「持続的な努力」なるものは、本当に可能なのでしょうか?
努力とは、常に未来へと先延ばしされるものではないでしょうか。「今日は頑張ろう」と思っても、その「頑張る」という行為は、常に明日へ、明後日へと延期されていく。努力の完了は、常に到来しない。努力は、常に不在なのです。
また、努力は、しばしば外部からの要求や期待に応えるためになされます。受験生は、大学に合格するために努力します。しかし、その努力の目的は、彼ら自身の内部にあるのでしょうか? それとも、社会の要求に応えるためでしょうか?努力の主体は、常に不確かなのです。
持続的な努力。それは幻想に過ぎないのかもしれません。私達は、努力の不可能性、努力の不在を直視しなければならなりません。努力は、常に先延ばしにされ、常に主体を欠いています。「意欲」を考える時、「持続的な努力」という言葉の背後には、努力の空虚さが潜んでいるのです。
先延ばしの克服
意欲により、学生が直面する一般的な課題である先延ばしに対抗することができます。意欲のある学生は、勉強に優先順位をつけ、時間を効果的に管理することができます。
しかし、この「先延ばしの克服」という考え方自体が、先延ばしを否定的に捉えているかもしれません。
先延ばしとは、ある意味で、現在を生きることの肯定と考えることができます。先延ばしをする者は、今この瞬間を、勉強よりも大切なもののために使っているのかもしれません。先延ばしは、勉強という義務に抵抗する、一種の反抗なのです。
また、先延ばしは、未来を確定することの拒否でもあります。勉強に優先順位をつけ、時間を管理すること。それは、未来を、あらかじめ決定してしまうことでもあります。先延ばしは、未来を開かれたままにしておくための戦略なのかもしれません。
先延ばしの克服ではなく、先延ばしの肯定。私たちは、先延ばしの持つ肯定的な意味を見出だす必要があります。先延ばしは、現在を生きること、未来を開かれたままにしておくことの実践なのです。「意欲」という名の下に、先延ばしを否定してはなりません。
認知プロセスの強化
意欲のある学生は、情報をより深く処理し、批判的思考に取り組み、新しい知識を過去の知識と結びつける傾向があります。このような深いレベルでの認知的関与は、学習内容のより良い理解と定着に役立ちます。
しかし、この「知識」なるものは、本当に存在するのでしょうか?
知識とは、常に言葉を媒介にして伝達され、獲得されるものです。しかし、言葉とは、決して確定した意味を持ちません。言葉は、常に文脈に依存し、解釈に開かれています。つまり、知識もまた、常に不確定であり、不在なのです。
また、新しい知識と過去の知識を結びつけるという行為は、果たして可能なのでしょうか?
新しい知識は、過去の知識の文脈では理解できないかもしれません。過去の知識は、新しい知識を歪めてしまうかもしれません。知識同士の結びつきは、常に不確かなのです。
認知プロセスの強化という言葉の背後には、知識の実在性への信仰があります。しかし、知識は常に不在であり、知識同士の結びつきも常に不確かなのです。私達は、「意欲」を考える時、知識の不在を認めることから始めなければなりません。
課題への対処
受験勉強の過程で、受験生は難しいトピックや難しい問題にぶつかり、模擬試験で失敗することもあります。高い意欲は、生徒がこれらの課題に正面から立ち向かい、解決策を模索し、失敗から学ぶ原動力となります。
しかし、この「失敗」は、本当に克服されるべきものなのでしょうか?
失敗とは、ある意味で、新しい可能性の開始ではないでしょうか。失敗は、私達が予期していなかった方向へ、私たちを導いてくれます。失敗は、私たちの思考の限界を露呈し、新たな思考の可能性を開いてくれるのです。
また、失敗から学ぶという考え方自体が、失敗を否定的に捉えています。失敗から学ぶためには、まず失敗を受け入れ、失敗と共に生きることが必要です。失敗を克服の対象としてではなく、生の一部として肯定することが重要なのかもしれません。
課題への対処という言葉の背後には、失敗を否定的に捉える姿勢があります。しかし、失敗は、新たな可能性の始まりであり、生の一部なのです。私たちは、「意欲」を考える時。失敗を克服の対象としてではなく、失敗と共に生きる道を模索しなければならないのだと思います。
学習素材の活用
意欲のある学生は、教科書、オンライン教材、コーチングクラス、勉強グループなど、利用可能な素材を積極的に探して活用する傾向があります。彼らは、成功に必要なものを確実に手に入れようと積極的です。
しかし、学習素材は、学習者の外部に存在しています。つまり、学習素材そのものは、学習者の理解とは独立して存在しているのです。学習者が学習素材を手に入れたとしても、それだけでは理解には直結しません。
たとえば、数学の教科書を買ったとします。しかし、教科書を買ったからといって、すぐに数学が理解できるわけではありません。教科書の内容を理解するためには、学習者自身が能動的に考え、問題に取り組む必要があります。
学習素材を手に入れる努力も大切だけれども、それだけでは不十分です。学習素材の内容を自分のものにするには、学習者自身の主体的な努力が必要不可欠です。
つまり、「意欲」を考える時、学習素材を手に入れただけでは理解には至らず、学習者は常に学習素材の内容を追いかけ続けなければならない、ということが重要だと思います。
目標設定と達成
意欲はしばしば明確な目標から生まれます。特定の研究分野への情熱、有名大学への進学願望、その他の個人的な目標など、意欲は、具体的で測定可能な成果を設定し、それに向かって努力するよう学生を駆り立てます。
しかし、この「目標」なるものは、本当に存在するのでしょうか?
目標とは、常に未来に属するものです。目標は、現在の学習者にとって不在です。学習者は、不在の目標を追い求めて、現在の学習を犠牲にします。目標の追求は、現在の学習の価値を奪ってしまいます。
また、目標は、他者によって設定される可能性があります。研究分野への情熱も、有名大学への進学願望も、社会や他者からの期待によって形作られるます。目標は、学習者の主体性を奪い、学習者を他者の欲望に従属させる可能性があります。
目標は、学習者を欺く可能性があります。目標は、学習者に現在の学習を犠牲にさせ、学習者の主体性を奪いかねません。「意欲」を考える時、目標への盲目的な追求は、学習者を目標の虚構に囚われさせてしまう可能性があります。
粘り強さを高める
挫折に直面したときや、成功への道のりが長く険しいと思われるときでも、意欲は粘り強さの燃料となります。あきらめるか前に進むかの違いです。
しかし、この「粘り強さ」なるものは、本当に必要でしょうか?
粘り強さとは、挫折を否定し、挫折から目を背ける態度です。粘り強さは、挫折の意味を問うことを拒否します。粘り強さは、挫折の痛みから逃げ、挫折の痛みを忘れようとするものです。
しかし、挫折とは、学習者に必要不可欠なものではないでしょうか。挫折は、学習者に自らの限界を知らしめ、新たな可能性を開きます。挫折は、学習者を変容させ、成長させるです。
粘り強さは、挫折の意味を奪ってしまいます。粘り強さは、学習者から成長の機会を奪ってしまうのです。「意欲」を考える時、粘り強さへの盲目的な信仰は、学習者を粘り強さの虚構に囚われさせてしまうと思います。
感情的な幸福
意欲、特に内発的意欲は、生徒の全般的な情緒的幸福を高めることができます。意欲があれば、学生は勉強に熱意、興味、満足感を抱きやすくなります。
しかし、この「幸福」なるものは、本当に存在するのでしょうか?
幸福とは、常に先延ばしにされるものです。学習者は、勉強を頑張れば幸福になれると信じて、勉強に励みます。しかし、勉強が終わっても、幸福は訪れません。幸福は、常に未来に属し、現在の学習者にとって不在なのです。
また、幸福とは、他者によって定義される可能性があります。熱意、興味、満足感といった感情は、社会や他者から期待される感情である可能性があります。学習者は、自らの感情を他者の期待に合わせようとするかもしれません。幸福は、学習者の主体性を奪い、学習者を他者の欲望に従属させる可能性があります。
幸福は、学習者を欺きかねません。幸福は、学習者に現在の不幸を忘れさせ、学習者の主体性を奪う可能性があります。「意欲」を考える時、幸福への盲目的な追求は、学習者を幸福の虚構に囚われさせてしまう可能性があります。
自己効力感を高める
意欲は、自己効力感と密接に関連しています。自己効力感とは、特定の状況で成功する自分の能力を信じることです。生徒が目標に向かって努力し、その進歩を目の当たりにすることで、自己効力感と意欲は相互に強化されます。
ライフスキルの向上
受験勉強で培われた意欲は、短期的な目的を果たすだけではありません。進学、キャリア、そして個人的な努力に役立つ習慣や考え方を植え付けることができます。
要するに、知識やスキルは極めて重要ですが、意欲は、特に大学入試のような大きな試練において、学生がそれらのスキルや知識を効果的に活用する原動力となるエンジンなのです。十分な意欲がなければ、どんなに才能があり、資源に恵まれた学生でも、受験勉強でつまずくかもしれません。
マインドセット「やればできる!」の研究(草思社)の感想・書評
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『マインドセット「やればできる!」の研究』の著者の実績と信頼性
著者はスタンフォード大学の心理学のキャロル・S・ドゥエック教授です。
本書は、一個人についての話も多く出てきますが、おそらく、それは話をわかりやすくするためのエピソードトークであり、大学での研究、調査に基づく話もたくさん出てくる、ちゃんとした本です。
ドゥエック教授の研究は、他の大学教授による書籍でも多く引用されています。
著者の実績と信頼性は絶大だと思います。
『マインドセット「やればできる!」の研究』の概要
2008年11月1日第1刷。時代の流れを先取りするかのような、革新的な内容が盛り込まれていました。当時は、「非認知能力」という言葉は、あまり使われていなかったと思います。一般の人々にとっては新鮮で未知のこのテーマに、エビデンスを元に紐解いていったのです。私は、この本が非認知能力の研究におけるパイオニア的な役割を果たしたのではないかと感じています。
本の中で特に印象的だったのは、「こちこちマインドセット」と「しなやかマインドセット」という二つのキーワードでした。これらの言葉を通じて、人々の心の持ちようや、困難な状況に立たされた時の対応の違いが、非常に明確に、そして分かりやすく語られています。これら二つのマインドセットの違いは、まるで鮮やかなコントラストを描くように、私たちの心に響いてくるのです。
『マインドセット「やればできる!」の研究』を手に取る際、どんな先入観や偏見も持たずに、純粋にそのメッセージを受け取ることが大切だと私は感じました。なぜなら、本の中には自己成長や「やる気」「意欲」を引き出すためのヒントや秘訣がたくさん詰まっているからです。一つ一つの章を読み進めるごとに、その深いメッセージと知識の量に、私は驚かされました。この一冊から、こんなにも多くの価値や教訓を得ることができるとは思っていませんでした。
マインドセットとは?:やる気を育むために
私たち一人ひとりが持つ「マインドセット」。それは思考の基盤となる枠組みや、日々の生活での心の持ちようを意味しています。この言葉は、よく聞くかもしれませんが、実際のところ、具体的にはどういったことを指しているのでしょうか?
『マインドセット「やればできる!」の研究』は、このマインドセットに焦点を当て、多くの人が「自分の性格や性質」と思い込んでいるものが、実は「心の持ちよう」であり、それによって行動や感じる感情が大きく変わってくると説いています。
この本には、「こちこちマインドセット」と「しなやかマインドセット」という、興味深いキーワードが登場します。この2つの言葉は、訳者が用いており、それぞれの特徴を独自の言葉で伝えています。
「こちこちマインドセット」とは、自分の能力は固定的で変わらないという心の持ちようです。また、自分の能力を証明せずにはいられないタイプです。自分が他人からどう評価されるかを非常に気にします。
「しなやかマインドセット」とは、人間の基本的資質は、努力次第で伸ばすことができるという心の持ちようです。自分の成長に関心を向けるタイプです。
たとえば、中間試験で非常に悪い点を取ってしまった場合を考えましょう。
「こちこちマインドセット」の人は、「自分はもうダメ、どうにもならない」と考えます。非認知能力の1つである「意欲」を失う、ということですね。レジリエンスの喪失ということもできそうです。
「しなやかマインドセット」の人は、「もっと身を入れて勉強するように、という警告だろう。でも後半が残っているので、成績を伸ばすチャンスはまだある。」と考えます。「意欲」を失わないということです。
また、「こちこち」の人は、失敗を自分以外のなにかのせいにしがちです。一方、「しなやか」の人は、自分が間違いを犯したことを認め、そこから教訓を得て成長していくことができます。
当塾は、進学校の下位層の親子には、上記のようなこと、その他、進学校の下位層に共通する特徴をお伝えし、修正するように指導しています。しかし、下位層から抜け出せない親子は、どうも、自分たちが「しなやか」に変わろうとするのではなく、子供の成績が上がらないのを塾のせいにして、塾を変えて問題を解決しようとする傾向があるように思います。「こちこち」なのですね。それゆえ「やる気」「意欲」に欠ける。
この「こちこちマインドセット」と「しなやかマインドセット」という考え方は、私たちが日々の生活や仕事をどう捉えるか、そしてそれにどう対処するかに大きな影響を与えることに気づかされました。我々が遭遇する困難や挫折をどのように解釈し、それに対する対策をどう立てるかは、このマインドセットによって大きく左右されるのだと思いました。私もこの考え方を日々の生活に取り入れ、常に成長し続けることを目指しています。
「やる気」「意欲」を育むには、証明型か成長型か
下に『やる気が上がる8つのスイッチ』(ディスカヴァー)という本を挙げています。人を23=8通りにタイプ分けして、それぞれのタイプのやる気の上げ方について、治療法を述べています。
3つのタイプ分けの1つが「証明型」か「成長型」かです。上記のように、自分の能力を証明せずにはいられないタイプ(こちこち)か、自分の成長に関心を向けるタイプ(しなやか)かです。これは、「成長型」でなくてはならない、としています。
本書でも、「賢さを証明できたら成功か」「新しいことを学べたら成功か」というパートがあります。やはり、「証明型」(こちこち)は、チャレンジを恐れる、「やる気」「意欲」を失う人が出てくる、などとして、「成長型」(しなやか)が望ましい、としています。
したがって、東大を志望する理由は、「自分の能力を証明する」ではなく、「成長する」ためでなくてはならないのですね。
また、『やる気が上がる8つのスイッチ』では、もう1つのタイプ分けが、自信があるかないか、となっていて、自信があったほうがいいとう事になっています。塾長も、テストの点は、技術的なことだけでなく、自信といったよくわからないものも、大きな要素だな、と思っていました。
しかし、『マインドセット「やればできる!」の研究』では、「マインドセットがしなやかならば、かならずしも自信など必要ない」としています。たしかに、「しなやか」な人は、失敗しようが、ただただ自分の成長に関心を向け、「やる気」「意欲」を持ってやり抜いてしまうので、自信は必要ないな、と。「やり抜く力」も非認知能力の1つとされます。自信喪失が原因で、テストのパフォーマンスが下がっている人には、「しなやか」さを身に着けてもらうよう、指導していこうと思いました。
大学受験でも、たとえば東大、医学部受験など、高い目標にチャレンジしようとしない人がいます。それは、こちこちマインドセットのせいで「やる気」「意欲」を失っていて、修正しなければいけないのではないか、と疑ってみる必要があると思いました。
やる気を育むためには、生まれ持った才能を褒めるか、努力を褒めるか
『マインドセット「やればできる!」の研究』で、最も衝撃的なのは、この部分だと思います。
「頭がいいのね」などと生まれ持った能力を褒められると、「こちこちマインドセット」になる。このようなマインドセットの人は、高い目標や未知の領域にチャレンジするのを避け、その安全圏内で自分の才能や能力を守ろうとする。結果として、新しい挑戦から逃げてしまい、意欲を喪失してしまうことがあるのです。
「頑張ったのね」などと努力を褒められると、新しい問題にチャレンジするほうを選んだそうです。努力や取り組む態度を褒められることで、人は新しい問題や難易度の高い挑戦に対しても前向きになれるようです。このようなポジティブなフィードバックを受け取ることで、自分の限界を挑戦し続け、さらなる成長を求める姿勢、「やる気」「意欲」が育まれるのです。
この発見は、私たちが子供たちや生徒たちにどのような言葉をかけるかという観点で、大変示唆に富んでいます。保護者や教育者、そして私たち一人ひとりが、自分の子供や他者を励ます際には、その「努力」や「取り組み」を中心に褒めるように心がけることが、その人の成長を後押しする鍵となるのではないでしょうか。
生まれつきの才能や資質はもちろん大切ですが、それよりもそれをどのように活用し、どれだけの努力をして発展させるかが重要だと思いました。
生まれつきの才能よりも、それを活用し発展させる努力を重視するこの視点は、単なる、実験の結果というのみならず、私たちの学びや成長において非常に重要なメッセージを伝えていると感じました。
人間関係のマインドセット
人間関係というのは、やはり複雑でデリケートなものですよね。私もそうですし、多くの人は、たとえば友人や同僚との関係を考えるとき、できればストレスがなく、気を使わず、楽にコミュニケーションをとりたいと強く感じているでしょう。誰もが、関係維持に過度な努力を要しない人と、心地よく時間を過ごしたいと願っているはずです。
しかし、『マインドセット「やればできる!」の研究』では、私たちの普段の考えとは少し違った視点が示されています。「人間関係は、育む努力をしないかぎり、だめになる一方で、けっして良くなりはしない」としています。つまり「やる気」「意欲」が必要だということです。
考えてみれば、人間関係もスキルの1つであり、学校のテストとあまり変わらないわけです。それを磨くための「やる気」「意欲」が必要です。日々のコミュニケーションや対人関係にも、向き合う勇気と意識が求められるのです。
まあ、もちろん、付き合うべきではない人というのも、世の中には多いでしょうし、それはそれでいいとは思います。
しかし、それと同時に、現在の人間関係を維持し、更に深めるための努力や、新しい人間関係を築くのに必要な努力を怠らず、積極的に取り組むことの大切さを再認識させられるのです。人間関係は、与えられたものではなく、一緒に育てていくものだということを、私たちは常に意識して生きていくべきなのかもしれません。
人間関係は、大学受験とは直接は関係がないと思うかもしれません。しかし、家庭の人間関係が良好であれば、健全な精神や、必要なサポートを得ることができるでしょう。学校の友人との人間関係が良好ならば、やはり、健全な精神や、受験に大切な情報を得ることができるでしょう。結果、「やる気」「意欲」が高まるのだと思います。
東大、医学部への意欲を高める建設的な批判
私たちが目指す目標や夢に向かって進む過程で、必ずと言っていいほど出くわす「失敗」。この失敗をどう受け止め、どう乗り越えるかは、その後の成果や達成感に大きく関わってきます。『マインドセット「やればできる!」の研究』では、子供、生徒が失敗したときには、建設的な批判、つまり、悪い点を改めたり、もっと努力したり、すぐれた成果を出したりするのをうながすような批判をすべきだ、とします。
大学受験塾チーム番町では、こうした考えを基に、生徒たちの成長をサポートしています。たとえば、東大模試や医学部志望者の模試の反省を通して、できなかった問題について、たとえば、「数学のこの教材の何ページを勉強していたら解けたね」とか、記述型の現代文で「こういうふうに記号をつけて論旨を追っていたら、合格点の答案がかけたね」などと、建設的な批判をするように心がけています。
このようなアプローチの結果、生徒は「ああ、勉強すれば受かるんだ」と思うようです。東大、医学部受験を含め、大学受験がうまくいかない原因の意外に大きな要因に「どう勉強すればいいかわからなくなって、心が折れる」、つまり「やる気」「意欲」を失う、というものがあるようです。しかし、当塾の生徒たちは、そうした迷いや不安を感じることなく、目標に向かって努力を続けることができます。それが大学受験塾チーム番町の個別指導の強みであり、生徒たちの成功の秘訣なのです。
医学部に受からないご家庭のこちこち毒親
『マインドセット「やればできる!」の研究』には、胸を締め付けられるようなエピソードが載っています。それは、ハーバード大学への入学を最終的な目標とし、そのための成功を娘に強要してきた両親の話です。彼らの心の中では、娘や自らの価値は、ハーバードへの入学という結果にのみ結びついていました。娘や両親自身の優秀さを証明するため、つまり、こちこちマインドセットの両親です。娘がどんな人間か、今、何に関心があるか、学んで成長できるか、将来どんな人間になれるか、なんてどうでもいい。ハーバード大学に入れた場合にだけ、娘を愛し、尊重しよう。
実際の社会でも、特に医師のご家庭でよく目にする光景があります。それは、お子さんが自分から熱心に医学を志望する場合とは異なり、お子さんの興味や夢を度外視して、絶対に医師になるようにという期待を抱くケースです。このような医学部受験の場合、お子さんが盲目的に従順、と言った特殊な場合を除いて、こじれる、「やる気」「意欲」を失って、うまく行かないことも多いだろうな、と思います。
まず、本書のように、保護者の方が「こちこちマインドセット」なので、お子さんが十分に能力を発揮できない、という場合も多いと思います。また、本書とはあまり関係ありませんが、世界陸上400mハードルで銅メダル2回の為末大さんなどは、「自分の人生を生きている感覚」「何かを見てわーっと興味、好奇心が湧いてくる」が一番の才能であり、後から最も与えにくい、とおっしゃっています。たとえば、シリコンバレーの親が、子供が幼少の時からプログラミングを学ばせたら、子供は大学で哲学を専攻してしまった、などという話はよくあるようです。これは、子供の興味や関心を無視し、親の期待を一方的に押し付けることの限界を示しています。
もし医師のご家庭で、お子さんを医師にしたいと考えているなら、言葉を駆使するよりも、ご自身が日々の仕事でどのように社会に貢献しているのかを、実際の行動で示し続けることが大切だと思います。
世の中には、東大や他の名門校への受験を強く望むご家庭も少なくありません。中学受験を経験するご家庭も同様に、本書の内容を参考にし、お子様の将来との向き合い方を再考してみてはいかがでしょうか。
『マインドセット「やればできる!」の研究』のまとめ
『マインドセット「やればできる!」の研究』というタイトルを初めて手に取ったとき、私はこの本がどれほどの影響を私の考え方や日常にもたらすか、全く予測していませんでした。教育の領域でのマインドセットに関する議論は、ただの教育論ではなく、我々が人生をどのように歩むべきか、という哲学的な問いかけとして感じられました。教育者である方、学ぶ側の学生である方、そして私たち一人一人がどちらの立場にもなり得るこの社会において、この一冊は非常に価値のある洞察を提供してくれました。
失敗を避けるのではなく、その失敗自体を新たなステップとして受け入れ、さらに前へ進むための糧とする。この考え方の重要性を、私たちは社会全体で共感し、共有する必要があると強く感じました。この哲学的なアプローチは、日常のささいな出来事から大きな人生の選択まで、どんな場面においても応用が効くと確信しています。
実際にこの本のページをめくりながら、私自身が過去に経験した失敗や挫折を思い返し、それらがどれほどの学びをもたらしてくれたかを振り返ることができました。日々の生活の中で、どれだけ自分を成長させる機会があるか、そしてそれをどのように捉えるか。これらのことを深く考えることで、私たちは前向きなエネルギーをもって人生の舞台に立つことができるのだと感じました。
最後に、『マインドセット「やればできる!」の研究』は、ただの自己啓発書としてではなく、人生における大切な羅針盤としての役割を果たしてくれる一冊です。人間の持つ無限の可能性を信じ、それを実現するための方法を学ぶすべての方々に、心からこの一冊をおすすめしたいと思います。
『マインドセット「やればできる!」の研究』の目次
1.マインドセットとは何か
2.マインドセットが違うとこんなに違う
3.能力と実績のウソホント
4.人間関係のマインドセット
5.親と教師:マインドセットを培う
6.マインドセットをしなやかにしよう
やる気が上がる8つのスイッチ(ディスカヴァー)の感想、書評
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2018年5月24日発売。ただし、アメリカでは、2013年には出版されていたようです。人がやる気を上げる方法は1つではなく、人に合わせて方法を考える、という方針です。成長か証明か、獲得か回避か、自信があるかないかで23=8通りにタイプ分けができます。本書では、その8タイプにつき、治療法が示されます。
『やる気が上がる8つのスイッチ』の著者の実績と信頼性
うさんくさい題名ですが、著者は、コロンビア大学モチベーション・サイエンス・センター副所長のハイディ・グラント・ハルバーソン先生です。大学の研究に基づく、ちゃんとした本です。
ハイディ・グラント・ハルバーソン先生は、他の著書には、
・やり抜く人の9つの習慣(ディスカヴァー)
・やってのける(大和書房)
があります。いずれも、モチベーション系の、大学の研究に基づく本ですね。
著者の実績と信頼性は抜群と言えます。
やる気を上げるには、証明か成長か
このテーマに関して、筆者は「成長型のマインドセット」を持つことの重要性を強調しています。
マインドセット、つまり「心の持ちよう」とは何か。それは、私たちが日々の生活や仕事、学びの中でどのような意識や考えを持ち、それに基づいて行動するかを示しています。ここでは、「証明マインドセット」と「成長マインドセット」の2つに大別しています。
「証明マインドセット」とは、「人に自分の能力を見せつけ認めさせよう」という心の持ちようです。それに対し、「成長マインドセット」とは、「自分が向上することに焦点を当てる」心の持ちようです。
まあ、なんとなく証明型の人は、心が貧しい気がしますね。実際に、ミスを恐れ、自分にはできないことを他人に知られることも、自分でわかってしまうことも恐れ、不安に陥り、「やる気」「意欲」を失う、といった傾向が見られるようです。うつにも結びつきやすく、仕事を楽しいと思えない。過程を楽しむ余裕がない。
証明型の人が「すごい人と思われたい」のに対し、成長型の人は「すごい人になりたい」。他人の目を気にしないし、他人に認められなくても、自分のしたいことをする。主体性がある。「やる気」「意欲」を持ち続ける。
それは、「成長マインドセット」の人のほうが、困難に直面しても、粘り強く頑張り続け、最終的には成功しそうですよね。非認知能力として挙げられる「やる気」「やり抜く力」「レジリエンス」などが高い。
つまり、受験勉強など、長丁場の戦いの場合、「自分が優秀であることを証明するために」勉強している人より、「自分を成長させよう」と思って勉強している人のほうが強い、ということになります。
もしも「証明型」のマインドセットを持っていると感じる方は、意識的に「成長マインドセット」を取り入れるための工夫をしてみると良いでしょう。例えば、毎日の日常の中で「成長マインドセット」と書いたメモを机に貼ってみるなど、日常的にその意識を持つことが大切です。
やる気を上げるには、獲得か回避か
『やる気が上がる8つのスイッチ』では、目標設定や達成のアプローチには「獲得フォーカス」と「回避フォーカス」という2つの大きなカテゴリがあると説明されています。これはどちらでもよく、強みを活かすことが大切だそうです。
「獲得フォーカス」とは、最大限の利益、最小限の機会損失への心の焦点です。
「回避フォーカス」とは、安定感、信頼性への心の焦点です。
「獲得型」の人は、自分の理想とする高いランクの大学を志望し、その目標に向かって全力で取り組むでしょう。このタイプの人は、常に自分の限界を挑戦し、新しい道を切り開くことに「やる気」「意欲」を感じます。
「回避型」の人は、自分の現在の実力程度に志望校を設定し、成績が上がるにつれて、志望校も少しずつ上げていけば、「やる気」「意欲」を維持できるのではないでしょうか。
ただ、「回避型」の場合、失敗を恐れ、必要以上に目標を低く設定している可能性があります。世界陸上2001年エドモントン大会、2005年ヘルシンキ大会の400mハードルで銅メダルを獲得された為末大さんがYouTubeチャンネル「為末大学」を開設しています。2020年6月6日に「子供が自ら挑戦するようになる接し方」という動画をアップしています。
お子さんが主体的に東大・医学部受験に挑むためには?
「回避型」の人がこのような性質を持つ背景には、親や教育者からの過度な期待やプレッシャーが影響していることも考えられます。そのため、自身の子供や生徒を育てる際は、過度なプレッシャーをかけず、自主性や挑戦心を大切にし、「やる気」「意欲」を失わせないことが求められます。
しかし、この「回避型」には魅力的な長所も多く存在します。失敗を極力避けることで、高い精度や丁寧さを持って取り組むことができるのです。そして、その堅実さは、長期的なプロジェクトやチャレンジにおいて、「やる気」「意欲」を持続し、高い成功率をもたらすことが期待されます。
やる気を高めるには自信があった方がいい
過去の研究や心理学の進化を通じて、成功ややる気に関して一つの事実が明確になってきました。それは、”自信があれば、やる気を高めることができる”ということです。この単純な事実は、『やる気が上がる8つのスイッチ』の中でも触れられており、実際に私たちの日常生活においても、非常に役立つ情報となります。
塾長の経験上も、自信というよくわからないものが、テストの点数に大きな影響を与えます。テストで良い点を取ることにより、自信がつき、さらに点数が上がるという、正のスパイラルが存在します。ほとんどの人がそうです。塾長の生徒は、受験までダラダラ成績が上がっていく人が多いです。
何百もの研究によると、技能と成功の相関係数は0.19であるのに対し、自己効力感と成功の相関係数は0.34だそうです。つまり、学術的にも、技術的なものよりも、自己効力感のほうが、成功との関係性が高そうだ、ということが言えます。
では、この自己効力感をどのように高めていくのでしょうか。一番のキーは、成功体験を積むことです。社会人であれば、職場における具体的な成功や成果を挙げること。学生であれば、テストで高得点を取ることや、課題をクリアすること。また、当塾の生徒なら、授業中に実際に問題を解けるようにする、ことで成功体験を積み、自己効力感を高めるのがいいと思います。
ただし上でも書きましたが『マインドセット「やればできる!」の研究』という書籍からの示唆も共有したいと思います。この本には、「しなやかマインドセット」の持ち主は、自信の有無にかかわらず、物事を柔軟に取り組み、失敗を成長の一部と捉え、「やる気」「意欲」を失わないことが述べられています。このような考え方を持つことは、我々の人生やキャリアにおいて、非常に価値があるのではないでしょうか。
やる気を高めるためのまとめ
当塾に当てはめると
・机に「成長マインドセット」と書いた紙を貼る
・「獲得」「回避」の強みを活かす
・授業中に解説を受けた上で問題を解き、テストで少しずつ点を上げ、自信をつける
というのが「やる気」「意欲」を高める治療法になると思います。
テストで点を取れない人の治療法が、テストで点を取って自信をつける、というのが難しいところですね。
やる気を高めるタイプ別診断と治療法
ここまで書いてきたことで解決しますが、本書は、23=8通りのタイプに名前をつけています。たとえば、
・証明+獲得+自信なし=中二病
自分の能力を証明するために「東大を目指す」などと言い(保護者の場合、自分の自尊心を満たすために強要し)、しかも自信がなく、努力もせず、失敗しても他人のせいにする(保護者の場合、自分の自己修養、子供への人間教育の欠如ではなく、塾のせいにする。自分の教育力のなさを知られたくない。)タイプです。「憂鬱な感じを漂わせている」「わからないのにわからないと言えない傾向」というのも、塾長の経験と一致します。本書では「破滅的」と診断しています。くり返しますと、上記のように「やる気」「意欲」を高める治療は可能なはずです。ただ、保護者が「空虚な自尊心」という、よくわからなないもので、妙にかたくなな場合が多く、治療は困難なケースも多いでしょう。
・成長+獲得+自信あり=新星
壁にぶつかるほど「やる気」「意欲」が湧き出、革新的であり、最高の仕事人、スターとしています。
・成長+回避+自信あり=熟練の匠
責任感が強く信頼でき、仕事にミスがなく、「新星」とタイプは違えども、「やる気」「意欲」を持続する、最高の仕事人としています。
こんな人は『やる気が上がる8つのスイッチ』を読むべき
・やる気を出したい人
・成長しようと思っているのではなく、自分の能力を見せつけようと思っている人
・最大限の利益を得たいと思っている人
・安定を得たいと思っている人
・自分に自信がない人
大学受験生のやる気、意欲を育む本とフーコー
フーコーの権力と知の関係性の観点からすれば、「やる気」や「意欲」といった概念自体が、特定の歴史的・社会的文脈の中で形成された言説の産物だと言えます。近代以降の教育言説は、個人の内発的な動機づけを重視し、自己実現や成功への意欲を称揚してきました。受験生の「やる気」や「意欲」を育むことは、このような近代的な主体性の構築と密接に関連しているのです。
受験生の意欲を育む方法を説く書籍は、一種の自己啓発言説として機能しています。それらの書籍は、受験生に特定の規律的実践(例えば、目標設定、時間管理、勉強技術など)を内面化させることで、自己を管理し、最適化するよう促します。フーコーが指摘したように、近代社会における権力は、個人の内面に働きかけ、自発的な服従を生み出すことで機能します。受験生の意欲を育む書籍は、この「生政治」(国家がどのように人々の命や身体を管理し、支配しようとしているのか)の一形態だと言えるでしょう。
また、これらの書籍が前提とする「意欲的な受験生」像は、規範的な主体モデルとして機能します。受験生は、この理想像に自らを適合させようと努力することで、特定の行動様式や価値観を内面化していきます。しかし、フーコーの視点からすれば、この主体モデルは、特定の社会的・経済的な要請に応じて構築されたものであり、その背後にある権力関係を問い直す必要があります。
さらに、受験生の意欲を育むことを目的とした書籍は、教育の目的を個人の競争力強化に収斂させる危険性を孕んでいます。これらの書籍は、「やる気」や「意欲」を、受験競争における優位性の獲得と結びつけることで、教育を経済的な利益追求の手段へと還元してしまいます。フーコーが批判したように、このような新自由主義的な教育観は、個人を経済的な主体へと矮小化し、社会的な連帯や批判的思考の可能性を閉ざしてしまうかもしれません。
ただし、フーコーの思想は、「やる気」や「意欲」といった概念を全面的に否定するものではありません。むしろ、これらの概念が持つ生産的な側面にも注目する必要があるでしょう。受験生の意欲を育むことは、学びへの主体的な関与を促し、知的な探究心を深める契機にもなり得ます。重要なのは、「やる気」や「意欲」を特定の規範的モデルに還元するのではなく、それらの多様な表現や発現の可能性を認めることだと言えます。
受験生の意欲を育む書籍は、近代的な主体性の構築と密接に関連した言説的実践です。それらは、特定の規律的技術を通して、受験生を自己管理する主体へと導きます。しかし、これらの書籍が前提とする「意欲的な受験生」像は、特定の社会的・経済的要請に基づく規範的モデルであり、批判的に吟味される必要があります。また、教育の目的を個人の競争力強化に収斂させることの問題性にも留意しなければなりません。
フーコーの思想は、「やる気」や「意欲」といった概念の歴史的・社会的な構築性を明らかにし、それらをめぐる権力関係を可視化します。私たちは、受験生の意欲を育むことの意義を認めつつも、その言説的前提を問い直し、Alternative な教育の可能性を模索していく必要があるのです。受験生一人一人の個性や可能性を尊重し、多様な学びのあり方を認めることが、真に主体的な学習者を育むための鍵となるのかもしれません。
大学受験生のやる気、意欲を育む本とハイデガー
私たちは単に効果的な学習テクニックを求めるのではなく、学ぶことの本質的な意味を問い直す必要があるでしょう。
ハイデガーにとって、学問とは単に知識を蓄積することではなく、存在そのものを問うことでした。彼は『存在と時間』の中で、人間を「現存在」と呼び、その本質を「世界内存在」として規定しています。つまり、私たちは常にすでに世界の中に存在しており、事物や他者との関わりの中で生きているのです。学ぶということも、こうした世界との関わりの一つの様態だと言えます。
この観点から見るなら、受験生が学習に意欲を持てないのは、彼らが学ぶことの本来的な意味を見失っているからかもしれません。学習が単なる点数稼ぎや競争に堕してしまっては、そこに世界を開示する喜びは生まれません。彼らは、自分自身の存在を問うことなく、ただ盲目的に知識を詰め込もうとしているのです。
では、どうすれば受験生のやる気を育むことができるのでしょうか。ハイデガーが示唆するのは、学ぶことの本質を取り戻すことです。それは、事象そのものに向き合い、その意味を問うことから始まります。受験生には、なぜこの科目を学ぶのか、それが自分にとってどんな意味を持つのかを、自問自答することが求められます。
もちろん、これは容易なことではありません。なぜなら、私たちは日常に埋没し、既成の価値観に囚われがちだからです。ハイデガーはこれを「頽落」と呼び、そこから脱却することの難しさを指摘しました。しかし、だからこそ、学ぶことの意味を問い直す営みには、大きな意義があるのです。
ここで、書籍の役割が浮かび上がってきます。優れた書物は、私たちを日常の殻から解き放ち、新たな視点を提供してくれます。そこには、先人達の知恵と経験が凝縮されており、私たちはそれを手がかりに、みずからの存在を問い直すことができるのです。受験生が学ぶ意欲を取り戻すためには、こうした書物との出会いが不可欠なのかもしれません。
ただし、ここで注意しなければならないのは、書物を読むことが自己目的化してはならないということです。ハイデガーは、書物を単に情報の源泉として扱うことを戒めました。大切なのは、書物と真摯に対話し、そこから得た洞察を自分自身の生の課題として引き受けることなのです。
そのためにも、受験生には能動的な読書の姿勢が求められます。ただ受動的に知識を吸収するのではなく、疑問を持ち、考え、書物の内容を吟味することが大切です。時には、書物の主張に異を唱えることも必要でしょう。こうした批判的な読書を通じて、受験生は自分自身の思考を深め、学ぶことの喜びを体感することができるはずです。
さらに、書籍を媒介とした他者との対話も重要な意味を持ちます。ハイデガーは、私たちが「共同存在」として、他者とともに生きていることを強調しました。受験生同士が書籍を巡って議論を交わすことは、互いの視野を広げ、学びを深化させる契機となるでしょう。そこには、競争ではなく、共に真理を探究する協働の精神が生まれるはずです。
以上のように考えるなら、「大学受験生のやる気、意欲を育む本」は、単なる学習テクニックの提供ではなく、学ぶことの本質を問い直す契機となり得ます。そこで提示される方法論は、あくまでも一つの手がかりに過ぎません。重要なのは、受験生自身が書物と対話し、みずからの存在の意味を探究することなのです。
そのとき、受験勉強は単なる点数稼ぎではなく、自己と世界を問い直す冒険の旅となるでしょう。書物を道標として、受験生は未知なる地平に踏み出していきます。そこには、困難や挫折も待ち受けているかもしれません。しかし、そうした試練を乗り越えることで、彼らは確かな意欲と自信を獲得していくはずです。
大学受験という営みが、人生の重大な岐路であることは間違いありません。しかし、それは単なる関門ではなく、自己を形成する貴重な機会でもあるのです。受験生には、書物を手がかりに、学ぶことの本来的な意味を見出していってほしいと思います。そのとき、彼らは受験を超えて、生涯にわたって学び続ける力を身につけることができるでしょう。
大学受験生のやる気、意欲を育む本とデリダ
このテーマは、一見すると実用的で無害なものに見えますが、デリダ的な視点から考察すると、様々な問題を孕んでいることが明らかになります。
まず、「大学受験生」という主体は、既に社会的に構築されたカテゴリーであると言えます。受験生は、教育制度という権力構造の中で生み出された存在であり、その主体性は制度によって規定されています。しかし、「やる気、意欲を育む」という言説は、あたかも受験生の主体性が自明のものであるかのように前提しています。ここには、主体の自律性を強調する近代的な価値観が潜んでいるのです。
また、「やる気、意欲」という概念自体も、脱構築の対象となり得ます。これらの概念は、資本主義社会における生産性や効率性の価値観と密接に結びついています。つまり、受験生の「やる気、意欲」とは、競争社会に適応し、良い成績を収めるための心的エネルギーだと考えられているのです。しかし、こうした価値観は、学びの多様性や個人の独自性を抑圧するものでもあります。
さらに、「育む本」という表現にも注目する必要があります。書籍という媒体は、知識を固定化し、権威化する装置だと言えます。「育む方法」を書物の形で提示するということは、ある特定の方法論を普遍的な真理として提示することでもあるのです。しかし、デリダが指摘したように、書かれたテクストの意味は決して一義的に確定できるものではありません。「育む方法」もまた、解釈の多様性に開かれているはずです。
ここで、「大学受験生のやる気、意欲を育む本」というテーマが持つ両義性に着目することができます。デリダの「pharmakon」の概念が示すように、書物は毒にも薬にもなり得るのです。「育む方法」を提示する書物は、受験生にとって有益な知見を与える一方で、特定の価値観やイデオロギーを注入する装置にもなり得ます。
重要なのは、この両義性を認識し、書物に書かれた「育む方法」を絶対化せずに、批判的に吟味することでしょう。受験生は、書物から一方的に知識を受け取るのではなく、自らの解釈を通してテクストと対話する必要があります。そのとき、「やる気、意欲」という概念もまた、脱構築の対象となるでしょう。受験生は、自らの「やる気、意欲」が社会的に構築されたものであることを認識し、その価値観を問い直していくことが求められます。
そのような脱構築のプロセスを通して、「大学受験生」という主体もまた、解体されていくことになるでしょう。受験生は、教育制度という権力構造に規定されつつも、その構造を乗り越える可能性を秘めた存在でもあるのです。「やる気、意欲を育む方法」を批判的に吟味することは、その可能性を開くための第一歩だと言えます。
「大学受験生のやる気、意欲を育む本」というテーマは、教育をめぐる権力と知のダイナミズムを浮き彫りにします。私たちは、書物に書かれた方法論を無批判に受け入れるのではなく、そこに潜む権力関係を見抜き、絶えず脱構築のまなざしを向けていく必要があるのです。そのとき、「大学受験生」という主体もまた、固定された存在ではなく、絶えざる生成のプロセスの中で捉え直されていくことになるでしょう。
この記事を書いた人
大学受験塾チーム番町代表。東大卒。
指導した塾生の進学先は、東大、京大、国立医学部など。
指導した塾生の大学卒業後の進路は、医師、国家公務員総合職(キャリア官僚)、研究者など。学会(日本解剖学会、セラミックス協会など)でアカデミックな賞を受賞した人も複数おります。
40人クラスの33位での入塾から、東大模試全国14位になった塾生もいました。
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