【感想・書評】「学力」の経済学(ディスカヴァー):個人の経験よりエビデンスで学力向上へ
2015年6月18日発売。
『「学力」の経済学』の著者の実績と信頼性
著者は、2022年現在、慶應義塾大学総合政策学部教授の中室牧子先生です。SFCでは、かの竹中平蔵先生の研究会で学ばれたそうです。その後、日本銀行に就職。コロンビア大学博士課程で教育経済学に出会い、現在のご専門にされています。
全体としてエビデンスに基づいて論じられ、巻末に、引用した論文などがたくさん載っている、ちゃんとした本だと思います。
著者の実績と信頼性は抜群だと思います。
『「学力」の経済学』の感想・書評
教育界はエビデンスより個人の経験で語られる現状
『学力の経済学』という一見専門的なテーマを扱ったこの本が、多くの親や教育関係者にとって重要な意義を持つことを確信しています。私たちが普段目にする教育の成果や学習方法に対する一般的な考え方を、経済学という独特のレンズを通して再評価することで、新たな視点と洞察が得られると思います。
『「学力」の経済学』の第1章は「他人の”成功体験”はわが子にも活かせるのか? データは個人の経験に勝る」と題されています。「どこかの誰かが子育てに成功したからといって、同じことをしたら自分の子どもも同じように成功するという保証は、どこにもありません」と述べています。一見すると直感的であるかもしれませんが、私たちが日常的に行っている教育行為に対する影響は深刻です。
たとえば、お子さんを全員、ある超難関大学の超難関学部に合格させたママが、精力的に本を出し、講演などもされているそうですが、おそらく研究者となるであろうお子さん達は、ママの科学的根拠のないこの行動をどのように考えているのでしょう。
塾長も何冊かこのママの著書を拝読しましたが、「身の回りのことをなんでもやってもらっている子は、自己管理ができず、だから成績が悪い場合が多いよな」と思います。個人の体験談は、家庭環境の違いなどが考慮されません。
それに対し、塾長は、大学教授(主にアメリカ)の書いた、巻末に引用した論文がたくさん載っているような本もたくさん読んでいます。どうも、大学教授の書いた本のほうが、現場での感覚に当てはまることがほとんど、のようです。本書のテーマも科学的根拠(エビデンス)のようです。
日本の経済財政諮問会議で、教育再生が議論に上った途端、財務大臣や経済再生大臣など、およそ教育の専門家と言えない人が「私の経験によると…」と主観的な持論を展開するそうです。財政政策や経済政策について、文部科学大臣が主観論を展開することなどありえないのに。
そのような公の場のみならず、どうも、教育については、「1億総評論家」状態で、素人の思いつきで「自分の子供は東大や医学部に合格できる」と思いこんでいる場合がほとんどのような気がします。そして、多くの場合、家庭教育がうまくいっていない。
たとえば、大学受験塾チーム番町から100mほどのところに、囲碁の総本山、日本棋院があります。囲碁というゲームは、盤に何も置かれていない対等な状態から、黒石と白石を交互に置き、勝負します。しかし、普通のアマチュアがプロ棋士と対局したら、100回やって100回全部、ボロボロに負けます。教育も同じだと思うのです。プロの名人からアマチュアの20級くらいまでの実力者があって、大差がつく。
一方、アメリカで2001年に成立した「落ちこぼれ防止法」では、111回も「科学的根拠に基づく」という文言が使われているそうです。
本書『学力の経済学』は、親や教育関係者、政策立案者にとって、どのように教育を再考し、子どもたちの学力を最大限に引き出すかという重要な問いに答えるための指南書と言えるでしょう。これまでの教育習慣に挑戦し、科学的根拠に基づく新たなアプローチを提供してくれる本書を、多くの人が読み、そのその洞察を活かすことを強く推奨します。
「勉強しなさい」はエネルギーの無駄遣いというエビデンス
「勉強しなさい」と言うのが逆効果、というのは、気鋭の現場の指導者の中では通説になっていると思います。『「学力」の経済学』では、研究によると、母親が娘に言うのは逆効果、それ以外の場合もほぼ効果はない、としています。それなら、どうすればいいか、ということについて、述べられています。
これは、伝統的な教育手法に対する挑戦であり、現代の教育現場でより効果的なアプローチを模索するための重要な手掛かりとなると思います。
また、「友だちが与える影響」として、
・同じ学級や学年の子どもたちの平均的な学力から受ける影響
・優秀な同級生から受ける影響
・問題児から受ける影響
・習熟度別学級から受ける影響
について、エビデンスを基に、述べられています。
これらの情報は、子どもたちの学力に影響を与える多様な要素を理解するための重要な手がかりを提供していると思います。
エビデンスに基づいて書かれた他書でも、「成功」との相関係数は、「技術的なもの」よりも「自己効力感(自信)」のほうが大きい、などと書かれています。進学実績がやや良い高校の下位層よりも、進学実績がやや及ばない高校の上位層のほうが、大学受験で成功するのは、技術面以外に、心理面、自信の影響も大きいのだろうと思います。
非認知能力は大切というエビデンス
『「学力」の経済学』の第3章では、「非認知能力」について述べられます。
「非認知能力」として、ここでは、自己認識(自信、やり抜く力)、意欲、忍耐力、自制心、メタ認知ストラテジー(自分の状況を把握する)、社会的適性、回復力と対処能力、創造性、などが挙げられています。
非認知能力はペーパーテストと対極なものとして語られがちですが、本書では「学歴」にも大きく影響することがノーベル経済学賞も受賞したヘックマン教授などの研究で明らかになっている、としています。
まあ、そのような研究を待つまでもなく、やり抜く力、意欲、自分の状況を把握する、といった能力が高い人のほうが、大学受験の点数が高くなるのは当然ですよね。
また、本書で挙げられている、これらの非認知能力は、教育やトレーニングで鍛えて伸ばせる、人から学び、獲得するものである、ということも大切でしょう。
非認知能力の育み方のエビデンス
『「学力」の経済学』では、やり抜く力については、『GRIT やり抜く力』(ダイヤモンド社)で有名なペンシルバニア大学の心理学者、ダックワース教授の名前も出てきます。やり抜く力に特化した解説の場合、『GRIT やり抜く力』を読むといいでしょう。課外活動を奨めている点も、本書と共通しています。また、マインドセット「やればできる!」の研究(草思社)の著者、スタンフォード大学の心理学者、キャロル・S・ドゥエック教授の名前も出てきます。マインドセット「やればできる!」の研究は、「能力は努力によって後天的に伸ばすことができる」という「しなやかマインドセット(心の持ちよう)」を持つことが大切であることが述べられています。
その他、本書では「細かく計画を立て、記録し、達成度を自分で管理する」ことが、「自制心」を鍛えるのに有効であるという研究が多数ある、としています。普通の公立中学の陸上部で7年間に13回の日本一を達成された、原田隆史先生は、生徒に「日誌」をつけるよう指導していました。つれづれに、思ったことを書く「日記」ではありません。1日のうちに、すべきことをあらかじめ書いておき、実際に実行できたかをチェックし、毎日、段差の小さい階段を登っていく。それを続けると、結局は、とんでもないところに到達できる、というものです。塾長は、「自制心」のみならず、「自分の状況を把握する力」も鍛えられるのではないか、と考えています。
塾に保護者の方が出てくるようなご家庭は、日頃から、なんでも保護者の方がやってあげるので、子どもが「自分の状況を把握する力」が低い傾向があるように思います。したがって、大学受験の成績も上がらない。その他、意欲といった非認知能力についても、保護者の過干渉により、「興味、好奇心」「自分の人生を生きているという感覚」が失われているのではないか、というのが、気鋭の現場の指導者の中では通説になっていると思います。
さらに、本書では、山形大学の窪田准教授らの研究により、しつけが「勤勉性」という非認知能力に因果関係を持つことが明らかになったことを紹介しています。『学力の経済学』は、教育における疑問に科学的な視点からアプローチを試み、教育についての誤解を解き明かしています。一見直接的な結果を示さないようなしつけでも、長期的な視点では子どもの成長に大きな影響を及ぼすことが示唆されます。
塾長の経験からも、人間的にしっかりしている人は、大学受験の成績の伸びが大きいと思います。
エビデンスとは?
教育については、世の中ではまずまず信頼に足るとされているようなメディアが、「専門家」などとして、平気で1塾講師の個人的見解を記事にしている事が多いです。また、情報源は、1東大生の親、1東大生であったりします。
『「学力」の経済学』では最後に、科学的根拠、エビデンスの信頼性の階層について述べられます。読者は様々なエビデンスの信頼性を正確に理解することができると思います。
本書では、最も信頼性の高いのは「ランダム化比較試験」としています。「ランダム化比較試験」は、クジや抽選でランダムに2つのグループに分け、介入を行うグループと行わないグループの差を計測するものです。更に上位に「複数のランダム化比較試験のメタ分析(複数の研究の分析)」を挙げる場合もあります。
先述のアメリカの「落ちこぼれ防止法」では、「エビデンスとはランダム化比較試験に基づくもの」であると明言されているそうです。
本書では、エビデンスの階層を
・ランダム化比較試験
・非ランダム化比較試験
・分析疫学研究
・症例報告
・論説・専門家の意見や考え
としています。「専門家の意見や考え」はエビデンスの最下層なのですね。専門家ですらない、東大、医学部合格者や、その関係者の個人的体験談などは、科学的根拠という面からは、論外なのですね。改めて、日本の教育、メディアはデタラメだなあ、と思いました。
『「学力」の経済学』の目次
1.他人の”成功体験”はわが子にも活かせるのか?
データは個人の経験に勝る
2.子どもを”ご褒美”で釣ってはいけないのか?
科学的根拠(エビデンス)に基づく子育て
3.”勉強は本当にそんなに大切なのか”
人生の成功に重要な非認知能力
4.”少人数学級”には効果があるのか?
科学的根拠(エビデンス)なき日本の教育政策
5.”いい先生”とはどんな先生なのか?
日本の教育に欠けている教員の「質」という概念
補論:なぜ、教育に実験が必要なのか
この記事を書いた人
大学受験塾チーム番町代表。東大卒。
指導した塾生の進学先は、東大、京大、国立医学部など。
指導した塾生の大学卒業後の進路は、医師、国家公務員総合職(キャリア官僚)、研究者など。学会(日本解剖学会、セラミックス協会など)でアカデミックな賞を受賞した人も複数おります。
40人クラスの33位での入塾から、東大模試全国14位になった塾生もいました。