平成から令和へ:松任谷由実と中島みゆきの音楽と日本経済を振り返る

 

平成から令和へ:松任谷由実と中島みゆきの音楽と日本経済を振り返る

 

 本日、2019年4月30日は平成最後の日です。
 昨日の夜、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」に松任谷由実さんが録画出演されていました。現在、エンディングテーマを歌っています。

 

日本経済の成長と松任谷由実の好調

 松任谷由実さんは、たとえば、上越新幹線が開通する前(82年)、スキーブームが訪れる前(映画『私をスキーに連れてって』が87年)の1980年(昭和ですが)に『SURF&SNOW』という、雪の歌中心のリゾートアルバム、コンセプチュアルなアルバムを世に出しました。
 松任谷由実さんが先行し、日本経済が追いついてきた、ということになります。

 

バブル崩壊と松任谷由実の低迷

 日本では1990年代にバブルが崩壊します。
 バブル崩壊とは、内閣府景気基準日付では、1991年(平成3年)3月から1993年(平成5年)10月までの景気後退期を指すようです。
 ただし、不景気はこの期間にとどまらず、たとえば、1997年から98年にかけて、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、山一證券などが倒産します。
 松任谷由実さんは、「ワールドビジネスサテライト」で「『日本の都市銀行が破綻したら私の音楽も終わる』と予言していた」とおっしゃっていました。実際に、この頃から売上が低迷し、批判されたそうです。

 

バブル崩壊と中島みゆきの再評価

 さて、1970年代から、世間では松任谷由実派(ユーミン派)と中島みゆき派(みゆき派)が存在していたそうです。松任谷由実さんと中島みゆきさんは、独自の音楽スタイルと作詞能力で多くのリスナーを魅了し、日本音楽界に大きな影響を与えてきました。
 中島みゆきさんは、75年の『時代』はいいとして、70年代後半から80年代前半にかけて『わかれうた』『ひとり上手』『悪女』といった曲がヒットし、「歌う縁切り寺」などという異名もありました(笑)。
 ユーミンが太陽ならみゆきさんは月。

 私の知る限り、1990年頃は、世間ではユーミン派が圧倒的多数でした。私の周りでは、ユーミン、ユーミンとは聞くものの、中島みゆきなんて名前は聞いたことはなかった。
 しかし、バブル経済の頃セールスが低迷していた中島みゆきさんは、上記のバブル崩壊の定義のあとの1994年5月、ドラマ『家なき子』の主題歌『空と君のあいだに』、1995年5月『家なき子2』の主題歌『旅人のうた』で100万枚を超えるセールスを記録します。
 そして2000年に放送が開始されたNHK『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』の主題歌『地上の星』は、発売以降174週連続でオリコンシングルチャート100位圏内チャートインを果たす、というとんでもない大記録を達成します。
 『プロジェクトX』は、主として第二次世界大戦の終戦直後から高度経済成長期までの、産業・文化等の様々な分野において、製品開発プロジェクトなどが直面した難問を、どのように克服し成功に至ったかを紹介するドキュメントでした。

 

日本経済の失われた30年と中島みゆき、松任谷由実の活躍

 そして2010年代。日本経済は、失われた20年、30年と言われます。
 その時期に、中島みゆきさんは、NHK朝ドラ『マッサン』の主題歌『麦の唄』を歌われ、松任谷由実さんは、平成から令和へと元号が変わるこの時期に、代表的な経済番組である『ワールドビジネスサテライト』のエンディングテーマを担当されています。
 ユーミンさんは、昨年末の「紅白歌合戦」での桑田佳祐さんとのパフォーマンスもインパクトがありましたね。
 お二人とも、息の長い活躍をされています。それぞれのキャリアが日本経済の波と重なり、時代の風潮を反映しつつ、時には予見するかのような曲を生み出してきました。バブル期の輝きを象徴する松任谷由実と、バブル崩壊後の日本人の心情を繊細に描いた中島みゆき、二人のアーティストが日本経済の動向とともに歩んできた様は、まさに日本の近代史そのものです。彼女たちの音楽がそれぞれの時代の象徴として捉えられ、その経済状況と共鳴しているところには、驚きと感動を覚えます。
 中島みゆきさんと松任谷由実さんは、それぞれが見せる持続性と適応性を通じて、音楽という形で日本の時代を刻んできました。彼女たちはただのエンターテイナーではなく、音楽と詞を通じて社会を鏡に映し、我々が日本の歴史と自身のアイデンティティを理解する助けとなってきました。
 また、お二人は平成から令和への時代の変化を、音楽を通じて象徴的に表現しています。彼女たちの音楽は、時代の節目を美しく彩り、深い感情を引き立て、人々の心に共鳴を与えてきました。
 二人のアーティストが過去、現在、そして未来にわたって続けてきた音楽的な旅路は、日本の社会経済の歴史と一体となって語られるべきものでしょう。

 

中島みゆきと松任谷由実と「ことば」

 中島みゆきさんは、大学は文学部国文学科、1999年には文部科学省の国語審議会委員を務めました。
かねてから「ことば」を大切にしている、といった趣旨の発言をされていたように記憶しています。
 松任谷由実さんも昨日の「ワールドビジネスサテライト」で「日本語を大切にしたい」とおっしゃっていました。
 お二人とも、シンガーソングライターとして詞を書いていますし、国語の教科書に詞が載るような方々ですね。彼女たちの歌詞には、しっかりとした「ことば」への敬意と愛情が込められています。これは、人々の心に響く力強いメッセージを伝えるための彼女たちの持つ素晴らしい才能とも言えるでしょう。また、このことは、彼女たちが日本の音楽界だけでなく、日本の言語文化にも大きな影響を与えてきたという事実を示しています。
 それぞれが「ことば」を大切にする姿勢は、彼女たちが詩人としての才能を持ち、言葉によって多くの人々の感情や思考を表現してきたことを示しています。これは日本語の美しさと力を再確認するとともに、言葉の選択が我々の世界をどのように形成するかを再認識するきっかけを与えてくれます。

 

塾長の大学受験と中島みゆきと松任谷由実

 塾長は大学受験生の頃に、ラジオで松任谷由実さんと中島みゆきさんが共演しているのを聞いたことがあります。
 ラフに語り合いつつも、お互いを尊敬している、素晴らしい関係だな、という印象でした。

 

この記事を書いた人

大学受験塾チーム番町代表。東大卒。
指導した塾生の進学先は、東大、京大、国立医学部など。
指導した塾生の大学卒業後の進路は、医師、国家公務員総合職(キャリア官僚)、研究者など。学会(日本解剖学会、セラミックス協会など)でアカデミックな賞を受賞した人も複数おります。
40人クラスの33位での入塾から、東大模試全国14位になった塾生もいました。

大学受験塾チーム番町 市ヶ谷駅100m 東大卒の塾長による個別指導

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