【感想】自由(末續慎吾、ダイヤモンド社):日本記録保持者とコーチに学ぶ個別指導塾の師弟関係
『自由』(末續慎吾)の書評、感想
末續慎吾さんは、陸上競技のアスリートです。
200mの20秒03は、いまも日本記録です。2003年、世界陸上パリ大会200mで銅メダル。日本人が200mというスプリント種目で銅メダルを獲ったのです。2008年、北京オリンピックでは、400mリレーのメンバーとして銀メダル。
しかし、その直後、長年、心身ともに追い込んだ結果、心身がズタズタで、休養を余儀なくされたそうです。
その1980年生まれの末續選手が、いまだに現役で選手を続けています。
勝ち負けからの自由
2003年の世界陸上銅メダルの前から、2008年北京オリンピックのメダルまで、末續さんは、勝つことが「当たり前」という精神状態にあったそうです。そして、現在、それはおかしなことだった、健全ではなかった、不健康だったと思っているようです。勝負は勝つことも負けることもあるはずだ。
「競技が楽しい」という感情より「勝っている自分が好き」という感情が圧倒し、負けを受け入れられないのも、不健康、いや「ある種の病気かもね」と述べています。
学生も「大学受験で良い点を取るのが当たり前」「大学受験勉強が楽しい、より、大学受験で良い点を取っている自分が好き」という精神状態は、もしかすると、健全ではないのかもしれませんね。大学受験の模試で良い点を取ることもあれば、悪い点を取ることもある。そして、ごく一部の職業競技者を除き、陸上競技が「遊び」に過ぎないのと同じように、学問も、もともとは、有閑階級の「遊び」だった。大学受験生も、ある程度の「遊び」の気持ちが大切なのでしょう。
熟練者の勝負観
2018年、末續さんは38歳で「マスターズ陸上」という、年齢別の大会に初めて参加します。参加した理由は「今でもかけっこが大好きで、いくつになってもかけっこしたい」から。超面白かったそうです。皆びっくりするほど「笑顔」だったから。末續さんより年上の人が、子供みたいに喜んだり、笑ったりしている。そして、変に緊張して、しかめっ面して、狭い世界でかけっこしている自分が恥ずかしくなったそうです。
陸上競技も大学受験も、このように、それぞれの感情を持った人間が行っているはずで、そういった人間のやるスポーツ、大学受験を勝敗や記録だけを競うものにしてしまうのはどうなのだろう。
本番を最大限に楽しむためには?
陸上競技のレース前に「自分の走りをしてきなさい」と言われる。大学受験の前に「落ち着いて」「自分の実力を発揮して」などと言われる。
しかし、末續さんは、本番前にそんなことを言われるようでは遅い、と述べます。
”試合の時には完成していて、あとは本番のコントロールできない空気にまかせちゃう。まかせられるほど自分自身を本番までに仕上げられていないから、そういった言葉を呪文のように唱えなきゃいけないわけだよ”
”楽しむ以外のすべてのことは練習の時にやってしまうことが大事なんです。”
かつて、塾長の生徒で「東大を受けるのが楽しみです」と言った人がいました。彼は、その年の東大文系数学の合格者平均が40点台のところ、60点台でした。受験の前の受験勉強で、末續さんが言う「楽しむ以外のすべてのこと」をしっかりやったのでしょうね。
休養を余儀なくされる
2008年、北京オリンピックの後、末續さんは休養を余儀なくされ、地元の熊本に戻りました。
「光」に慣れることから始めなければならなかったそうです。朝、いきなり目が光を受けるのは刺激が強すぎて、頭が痛くなるような状態だったそうです。「起きる」という行為自体もエネルギーを使うので、起きて立ち上がるのに2時間位かけたそうです。「廃人」はこの状態の一歩先にあるんだと思ったそうです。
「才子多病」と言います。大学受験でいわゆる「偏差値」が高い人は、それだけ神経を消耗するのか、精神的に疲弊しやすい傾向があるように思います。日頃の心の持ちようと、あとは、しっかり寝ることでしょうね。
日本記録、メダルからの山の下りかた
目標や夢を達成する過程を「山を登る」ことに例えましょう。すると、「山を下る」行為もあるわけです。登る前に、下ることも考える。登った後に、登りを振り返る。
末續さんは、下りも含めて山の全体像であって、それは、本気で挑戦した人間しか知ることはできない、と述べています。
大学受験も、合格までの「山を登る」過程だけではなく、合格、あるいは不合格のあとにあるもの、「山を下る」、「山の全体像」を見ることが大切なのでしょう。そして、本気で挑戦する。
新・根性論
末續さんは「助力よりも負荷に目を向けてしまっていた」、「自分をどれだけ追い込むかだけを考えていた」、「結果、心身ともに壊してしまった」、と述べています。まずは自分で思っているよりももう少し時間をかけて、自分でやってみる。
大学受験の勉強もそうで、まずは、失敗してみないと、自分にとって何が必要なのか、わからないですからね。次に、誰かに聞いてみる。より良い情報を収集してみる。「助力」を求める。最初から絶対解を求めたり、自分だけで答えを決めつけない。
大学受験も、ひとりよがりでとんちんかんなことを言っている親子は多いです。自分で時間をかけてやってみようともしないし、情報を集めたとしても、その狭い視野で頭がガチガチに硬直してしまっている。
個別指導塾の師弟関係
陸上競技の指導者と選手の関係は、個別指導塾の先生と生徒の関係に似ているでしょう。
末續さんは、高校を選ぶ時、「僕が必ず強くする」と言った先生より「僕は何もわからないけど、君と一緒に陸上をやりたい。先生もいろいろ勉強するから。」と言った先生を選びました。末續さんは、選手としての素晴らしい実績を持つ指導者が、選手それぞれの個性を無視して「自分と同じようにやることが正解だ」と言ってしまうことに抵抗があり、そのような選手は他にもいた、とのことです。
ここで「個性」とはなんでしょう?性格か、それとも、競技者としての物理的な骨格の違いか。
骨格の違いについては、世界陸上2001年エドモントン大会、2005年ヘルシンキ大会の400mハードル銅メダリストの為末大さんは、100m走で10”3~4までは「普遍」「型」だけでいい、としています。
一方、末續さんは、そのレベルを超え、為末さんの言う「個別」の領域に入っていました。
大学受験も同じで、学力や生活態度が「普遍」に届いていない生徒の場合、指導者が「普遍」を示してくれるのなら、変わるべきは指導者ではなく、生徒、保護者のような気がします。「普遍」に届いていないのに「個性」を主張している人たちが、けっこう多いような気がします。
個別指導塾の信頼関係
末續さんは37歳の時、カール・ルイスの師のトム・テレツ氏に師事したそうです。個別指導の先生を変えたということですね。
思うように走れなくて悩んでいた末續さんに、トム・テレツ氏は「君が過去どうだったかは、僕にはどうでもいい。今の君はきっと速く走れる。自分を信じなさい。」と言い、末續さんは「別にこの人の言っていることが全て間違っていても構わない」と思い、究極の師弟関係とは、このようなものだと思ったそうです。
末續さんが一番言いたかったのは、「いかに誠実な姿勢でお互いを受け入れているか」ということのようです。それは、それでいいでしょう。
ただ、大学受験の場合、指導者が間違ったことを言っていて、生徒がそれでも構わないと思っていると、大学受験には合格しないですよね。そして、このような姿勢の人は、進学校の下位層に多いと思います。世の中には、いろいろな人がいて、正論を納得する人もいれば、詐欺師を信用する人もいます。
企業秘密
現在の末續さんは、お世辞にも、日本トップレベルの競技力とは言えませんが、それでも練習メニューは、企業秘密だそうです。ただし、(笑)がついているので、どこまで本気で秘密なのかはわかりませんが。
『自由』(末續慎吾)の目次
はじめにー勝利至上主義のその先の話
1.「勝ち負け」の話
勝つだけって本当に正しいこと?
こじらせアスリートー「勝ち負け」からの自由
レジェンド・オブ・マスターー熟練者の勝負観
本番を最大限楽しむためには?
是、勝者の条件也ー「自分より強い選手」に挑む条件
かけっこの世界ー苦しみの先にあったもの
2.「夢」の話
本気で挑戦するということ
真剣な僕ー突然、目標が消えてしまった時
真剣の意味
新・根性論ー根性とプライドの正しい持ち方
メダルの対価ープロとアマの違いの話(上)
1000円ープロとアマの違いの話(下)
メダリストは1日にして成らず
3.「人間関係」の話
「良い」指導者の条件
上下関係と並行関係ー指導者の位置関係
パワハラシンキング
究極の信頼関係ー心情を感じる感情の情報
知らない関係は大人の嗜みー主観と客観のバランス
4.「個性」の話
「個性がないんです(涙)」ー個性の見つけ方
走らずして、走るのだー「極める」とは
スポーツの嗜みースポーツをやる意味ってなんですか?
「理想の自分」は変化していく
今の時代を少しラクに生きる考え方
流されちゃいましょう
この記事を書いた人
大学受験塾チーム番町代表。東大卒。
指導した塾生の進学先は、東大、京大、国立医学部など。
指導した塾生の大学卒業後の進路は、医師、国家公務員総合職(キャリア官僚)、研究者など。学会(日本解剖学会、セラミックス協会など)でアカデミックな賞を受賞した人も複数おります。
40人クラスの33位での入塾から、東大模試全国14位になった塾生もいました。