藤沢秀行の名言と伝説:囲碁の日本棋院と同じ千代田区五番町の塾が紹介

 

大学受験塾チーム番町 市ヶ谷駅66m 東大卒の塾長による個別指導

 大学受験塾チーム番町から、直線で100mちょっとの所に、囲碁の総本山、日本棋院があります。日本棋院の住所は五番町で、大学受験塾チーム番町と同じです。伝説の碁打ち、藤沢秀行名誉棋聖の名言、伝説を集めました。

 

 

藤沢秀行の名言

 

「碁打ちを50年もやっているのに何もわかっていない。しかし、奥が深く、変化が広大無辺だからこそ、我々は強くなれる。」

『勝負の極北』(クレスト社)藤沢語録1

 

「趙治勲とか小林光一なんか何とも思わない。そういう心構えで日々戦っている。老いたりといえども、まだ72歳です。」

『勝負の極北』(クレスト社)

 

「プロのわれわれも何もわからない。無限の方向に進んでいるのだからね。知っているったって本当はー何も知らないんだ。」

『勝負の極北』(クレスト社)藤沢語録2

 

「だから、年齢なんて、そんなものはたいしたことがないんだ。」
「将棋にしても碁にしても、そして人生にしても、無限の変化がある世界だから、日々の工夫を続ければ続けるほど強くなれる」
米長邦雄永世棋聖に「50歳を過ぎてから強くなった」理由を聞かれて。

『勝負の極北』(クレスト社)

 

「本当の強さというものは、誰のものでもない。すべての棋士が、一生懸命になって追いかけていくものです。その過程の副産物として、誰かが結果的にタイトルを預かる、というだけなんです。大事なのは、一生懸命に追いかけていくことなんですね。」

『勝負の極北』(クレスト社)

 

「ようするに、骨から強くなっていないんだ。骨太でなければ、骨を鍛えていなければ、ちっとも強くないんです」
「他人のいいところだけをつまんで、自分の栄養にしようとしている。これは無意味どころかマイナスです。」

『勝負の極北』(クレスト社)

 

「そうじゃないんだよね。いちばん大事なのはその過程なんだ。」
将棋の若手棋士が、難解な詰将棋に対し「これは作り物だから実践には出ない」という声が出た話を受けて。

『勝負の極北』(クレスト社)

 

「ただ自分一人で這い上がる努力を続けて来ただけです。しかし、それがいちばん大事なことなんだと思いますよ。一段ずつ階段を登ることを心がければ心がけるほど、不思議と地力がつくものなのです。」

『勝負の極北』(クレスト社)

 

「毎日が真剣勝負だと思ってかかれ。便所掃除でも草むしりでも、これは真剣勝負なんだというくらいの気持ちを持て」

『勝負の極北』(クレスト社)

 

「最後は、やっぱり人間性の問題になるんじゃないですか。」
「所詮、将棋も碁も、人間が打ったり指したりするものですよ。やっぱり人間を高める、自分を磨いていくほかないんだね。」

『勝負の極北』(クレスト社)

 

「不識という言葉がある。何もわからない、という意味です。私は人生のこと、碁のこと、何もわからない。でも誠意ということだけはわかります。誠心誠意、すべてのものごとにあたる。それだけですよ。」
「私は相当のバカですが、まず、バカだということを知らなきゃいかん。自分自身はいかに無力であるか、ということを知らなきゃいかん。」

『勝負の極北』(クレスト社)

 

「人間なんてみんなバカで、神様に比べれば偽物です。それがわかっていないから、勝つ人を本物だと思って、勝つ人の真似をしてしまう。」

『勝負の極北』(クレスト社)

 

「ものごとに頓着しない、人と人の赤裸々な付合いを大切にしたい。それが本当の付合いというものだ。」

『勝負の極北』(クレスト社)藤沢語録3

 

「考えてみれば、我々のポカはまだ幸せである。すべてが自分自身の責任なのだから。」

『勝負の極北』(クレスト社)藤沢語録4

 

「まだ修行中の碁打ちには、戦って戦って戦い抜けと言っている。戦いを避ける技は、後になってからでも身につく。」

『勝負の極北』(クレスト社)藤沢語録6

 

「定石もヘチマもない。見てていい手が定石なんだ。」

『勝負の極北』(クレスト社)藤沢語録7

 

「書も、絵も、碁も、同じだと思う。感情の発露というものがいちばん大切なんだ。」

『勝負の極北』(クレスト社)藤沢語録8

 

「いいと思ったことは、どんどん教えてしまう。その結果、若い人が強くなり、私が負かされても仕方ないではないか。」

『勝負の極北』(クレスト社)藤沢語録9

 

「現在ただ今、誰が強いとか弱いとか、そんなことはたいしたことないですよ。ゴールのないマラソンなんだから。今、後ろのほうにいても、日々走りつづけていればその人は必ず上達する。」

『勝負の極北』(クレスト社)

 

「碁の神様がわかっているのが100だとしたら、私にわかっているのは、せいぜい5か6か、あるいはもっと下です。」
「いまだに碁のことはわからないから、模索しています。せめて1局に1手、自分の納得できる手を打ちたいと思って精進を続けています。」

『勝負の極北』(クレスト社)

 

「無悟という言葉に思い至った。悟り無し。いくら勉強しても、俺には永久に碁はわからない、ということがわかった。」

『無頼の遺言』(NHKのドキュメンタリーDVD)

 

「頭改造しなきゃダメだよ。」
京大医学部卒の坂井秀至棋士に向かって。

『無頼の遺言』(NHKのドキュメンタリーDVD)

 

「もっと修行しなきゃダメだよ。碁の。たえず、工夫しなきゃ。上のてっぺんの連中が。もっと戦闘力をつけなきゃいかんと思うんだよな。碁に戦闘、かみついて戦う姿勢を。お前ら(若手)なおそうだよ。人まねなんかクソくらえだ。自分で工夫しろ。」

『無頼の遺言』(NHKのドキュメンタリーDVD)

 

「私は碁は芸であると考えている。勝ち負けは結果にしか過ぎない。芸が未熟なら負ける。芸が勝っていれば勝つ。私とて勝ちたいと思うけれど、勝負という狭い枠に自分を閉じ込めたくないのである。芸というのは、もっと広い発想から生まれるものだろう。自由奔放な発想なくして、芸を高めることはできないと思っている。」

『碁打秀行』(角川文庫)

 

「弟子たちにも言うんだ。なかなかわかってもらえないんだけど。碁っていうものは人間が打つもんなんだから、人間を高めなきゃダメなんだぞって教えてやる。イロハのイの字から。そういうこともわかなないんだ。ただ碁勝ちゃいいんだって。」

『無頼の遺言』(NHKのドキュメンタリーDVD)

 

「碁は一つの作品だと思いますから、今日はご来場の皆さんのために、二人にしっかり力いっぱいの碁を、いい作品を見せてもらいたいと思います。」
日本棋院関西総本部「藤沢秀行名誉棋聖を囲む会」。井山裕太対結城聡にて。

『無頼の遺言』(NHKのドキュメンタリーDVD)

 

昭和63年、世界選手権で中国の聶衛平に敗れた夜に詠んだ詩。
「棋士は死す迄
 遠く涯しない
 曠野をさ迷える者
 過去秀でた棋士ですら
 野辺に咲く一輪の花
 楽しいかな自由の天地
 方寸の盤上に駛走(しそう)し
 画となり書ともなる
 涯しなき自由の天地
 傷だらけの道程
 耐え 戦い 弱者は死
 自由の天地を知らざるもの悲し」

『無頼の遺言』(NHKのドキュメンタリーDVD)

 

秀行さんはなんでそんなにお酒を飲んだんですか?と聞かれて
「自分の神経に耐えられないんじゃねぇかと思うんだよ。大変なんだよ、戦っていくってことは。なんでも、あなた方の仕事でも。無限の中にいるわけだよ。それと同じことなんだよ。上へ行けば上へ行くほど大変なんだよ。努力がね。最善を尽くそうとすりゃ大変なことなんだよ。碁だってそうだ。何もわかっている奴なんかいるわけねえもの。だからそれに近づこうとして努力する。それもねえ、並大抵の努力じゃできないの。本当に死ぬ思いのような。だからまねは誰もできない。」 

『無頼の遺言』(NHKのドキュメンタリーDVD)

 

今、秀行さんの夢ってなんですか?と聞かれて
「もう少しマシになりたいと思うだけ」

『無頼の遺言』(NHKのドキュメンタリーDVD)

 

藤沢秀行の伝説

  1962年、自ら創設に尽力した、初代実力制名人に就く。リーグ戦最終戦は負け、新宿に飲みに行ったが、その間に、呉清源VS坂田栄男がジゴで、ジゴは「半星」という規定から、酔っ払っているうちに名人になっていた。翌朝の読売新聞社会面には、裸同然で記者会見に応じる姿の写真が大きく載ったらしい(人生、意気に感ずより)。名人戦の賞金は、それより1ケタ多い借金の返済にも回らず、ちょっと違う方面に行ってしまったらしい。

 

1978年棋聖戦、1勝3敗のカド番。挑戦者は加藤正夫本因坊。
「私は加藤君の大石に襲いかかった。下手をすれば、自分の首が飛ぶのを恐れず、大勝負を挑んだのである。勝負どころの1手に私は2時間57分の大長考をした。あらゆる変化を読んだつもりだった。」
131手で加藤正夫本因坊は投了。藤沢秀行棋聖が殺した加藤の石は34。記録的な勝利だった。

『無頼の遺言』(NHKのドキュメンタリーDVD)

 

「80歳でタイトルを獲る」

 藤沢秀行名誉棋聖は1992年、67歳の時、王座位を防衛しました。これは史上最高齢のタイトル保持記録です。これ自体、伝説と言えます。その後、小林覚九段と福井進九段と立川競輪に行き、帰りに駅前で飲んた時に、「80歳でタイトルを獲る」と言ったそうです。小林覚九段が各方面に吹聴し、加藤正夫九段がNHKで言ったそうです。

『勝負の極北』(クレスト社)

 

1999年、日本棋院に対して脱退届を出し、反乱を起こし、除名される。
「もう日本棋院とは脱退しまして、敵対行為に入るかもしれません。免状値上げに対しても猛反対してきたんですけど、現在にいたっては、五段が10万ですね。七段にいたっては50万とかって言うんでしょ。これではますます、アマチュアの人とプロの碁打ちは離れてゆく。ポトンと一滴かもしれませんが、一滴が大きい波紋になって…。」
2003年、藤沢秀行名誉棋聖は日本棋院に復帰。
「日本棋院もいい方向に動き出したようなので、意地を張っている理由がなく、復帰を決断しました。」

『無頼の遺言』(NHKのドキュメンタリーDVD)

大学受験合格のカギは人間的成長:藤沢秀行名誉棋聖と野村克也監督の共通点

野村克也さんの指導理念「人間的成長なくして技術的進歩なし」

 2020年2月11日、元プロ野球選手、監督の野村克也さんが亡くなりました。ご冥福をお祈り申し上げます。

 野村克也さんは「人間的成長なくして技術的進歩なし」と強調していました。人間的成長なくして大学受験合格なし、ということですね。

 野村監督は、当塾から3kmほどの神宮球場が本拠地のヤクルトスワローズの監督時代の90~98年、弱いチームの代名詞だったヤクルトを率いて、9年間で4度のセ・リーグ優勝、3度の日本一に輝きました。それのみならず、プロ野球の監督は人材難で、チーム生え抜きの選手が監督にならないことも多いですが、野村監督のあとのヤクルトは、ほぼ、野村監督の弟子のヤクルト生え抜きの人が監督を務めています。監督業のみならず、弟子の古田敦也さんはプロ野球選手会長、宮本慎也さんは日本代表キャプテン、稲葉篤紀さんは現日本代表監督を務めています。選手のみならず、人の上に立つ人材を育てていた、ということでしょう。

 野村監督は川上哲治監督という人を見習ったそうです。川上監督は、当塾から2.3kmほどの東京ドーム(旧後楽園球場)が本拠地の読売ジャイアンツを率いて、1965~74年、9年連続でセ・リーグ優勝、日本一に輝きました。ミーティングでは人間教育を重視し、たとえば、選手に「履物をきちんとそろえて脱げ」と指導していたそうです。履物の件は、当塾の「塾生心得」にもありますね。

藤沢秀行さんの指導理念「人間がするものは人間を高めなければダメ」

 秀行先生は、いろいろとデタラメな人ですが、「囲碁は人間が打つものだから、人間を高めなければダメなんだ」と公言していました。これはイロハのイだそうです。大学受験も人間がうけるものだから、人間を高めなければダメだ、ということですね。

 さて、秀行先生は、プロ棋士にも誰彼かまわず囲碁を教えていました。50代の時、新設された序列1位の「棋聖」位を6連覇し、名誉棋聖の称号を受けます。毎年の防衛戦は、自分が囲碁の面倒を見て、家でご飯をご馳走していた人達が挑戦してくる、自分の生活と名誉を脅かしに来る、ということになりました。7年目に、子供の頃から面倒を見た趙治勲名誉名人に棋聖位を奪われます。周りからはバカ呼ばわりされたそうですが、秀行先生は「己を磨くためにライバルを育てているんだ」と言い放ったそうです。

 秀行先生には藤沢一就八段というプロ棋士のお子さんがいます。トーナメントプロとしてはそこまででもないようですが、弟子がたくさんプロ棋士になっているようです。上野愛咲美三段(18)は現在、女流の5つのタイトルのうち2つを持っているようです。

 藤沢一就八段には藤沢里菜四段(21)という娘さんがいます。藤沢里菜四段は、現在、女流の5つのタイトルのうち3つを持っているようです。藤沢一就八段の弟子と娘で女流のタイトルを全部持っているということですね。すでに、この2人のタイトル戦が行われ、上野三段が藤沢里菜四段からタイトルを奪取しているようです。弟子が娘のタイトルを奪いに来るあたり、秀行先生に似ていますね(笑)。

 余談ですが、藤沢里菜四段は、昨年、NHK杯というテレビ棋戦で、かつて秀行先生から棋聖位を奪取した趙治勲名誉名人に勝ったそうです。公共の電波でおじいさんの敵討ちをしたということですね。

「人間的成長なくして大学受験合格なし」の根拠

 さて、「人間的成長なくして大学受験合格なし」には、科学的根拠はあるのでしょうか?

 フロイト(1856-1939)という、世界史や倫理の教科書にも載っている、心理学者、精神科医がいます。世間受けするからか夢判断が有名ですが、著書『精神分析入門』は、第2部「夢」の前に、第1部「錯誤行為」があります。錯誤は間違いという意味ですね。第1部「錯誤行為」では「忘却」についても考察されています。高校のテストや大学受験で点数を取れないのは、勉強した内容を「忘れる」からです。また、特に数学のテストでは、計算間違い、「錯誤」で失点することがあります。フロイトの言う「無意識」がどこまで科学的なのかはわかりませんが、人として成長するにつれて「無意識」も高みに向かう、ということはあるのかもしれません。いずれにせよ、世界史や倫理の教科書に載るような人が、錯誤、忘却について考察していたことは事実です。

 東大の脳科学の池谷裕二教授は、論文をたくさん引用した、ちゃんとした著書の中で「脳は生きるのに不可欠な情報以外は忘れる」と述べています。人と成長するにつれて責任感を持つようになり、大学受験の勉強を「生きるのに不可欠だ」と思うようになる、といったことはあるのかもしれません。

藤沢秀行名誉棋聖から成績の落ちない勉強法を学ぶ

 囲碁界で最も歴史と権威がある称号は「名人」です。史料上は江戸幕府の制度として存在したことは確かだそうです。現在は新聞社が主催するタイトル戦の1つです。その名人位を昨年獲得したのは、当時19歳(現在20歳)の芝野虎丸名人。史上最年少の七大タイトル獲得者だそうです。1月12日のTBS『情熱大陸』は芝野名人の回でした。

 囲碁界は、すでに1960年代には、若い人のほうが強いということになっていたようです。
 逆に、七大タイトルの最年長は、故藤沢秀行(俗に「しゅうこう」)名誉棋聖という人です。二度のガンから生還したあと、92年、67歳でタイトルを防衛しています。色々とデタラメな人なのですが、私はかつて、塾生に秀行先生のドキュメンタリーのDVDを見せていました。NHKが作って賞も受賞した作品だし、国から勲章ももらっている人だし、まあ、いいかなと。
 ドキュメンタリーDVDで秀行先生は、灘→京大医学部の坂井秀至八段(昨年、石を置き医師に戻りました)に「頭改造しなきゃダメだよ」と言っています。将棋界で最年長で名人(江戸幕府の制度だったと先述しました)のタイトルを獲った故米長邦雄永世棋聖は、「3人の兄は頭が悪いから東大に行った」と言ったという都市伝説があります。実際、そんなところでしょう。塾長は秀行先生と米長永世棋聖の対談の本も持っています。

 囲碁のトッププロの対局と、高校の勉強、東大入試程度を比べることはできないと思います。囲碁のトッププロの対局は、いずれ未知の局面が現れ、新手を出す、創造性が求められるのだろうと思います。それに対し、大学入試の数学や理科は、先人が築いた体系を学んでいるだけ、解釈の余地がない(もちろん、常に、疑問を持ち続けることは大切です)。囲碁に例えると、ルールと基本的な手筋をマスターする、といった程度のレベルでしょう。比べるならば、大学院のあとのまだ教科書や論文に書かれていない研究、全く新しいビジネスを立ち上げる、などでしょう。プロ棋士の勉強も「研究」と呼ぶことがあります。

 東大入試程度の数学や理科で合格点を取れない人は、思考力、センス云々の前に、単に、解釈の余地がないルールや基本手筋をマスターしていない人です。(まあ、数学や理科は、一度わからなくなると、その後もわからないので、弁護の余地はあります。そういう人は、前の学年の教科書から勉強し直せばできるようになります。)

 それでもあえて、高校や大学入試の勉強と関連づけて書いてみたいと思います。
 秀行先生は一部の棋士を「骨から強くなっていない」「他人のいいところだけをつまんで自分の栄養にしようとしている」「強い人の打った手だからといって意味もわからずマネしている」などと批判します。
 あえて高校の数学や理科に例えると、教科書の説明に書いてあるような、公式の成り立ちや事柄の意味などを理解しようとせずに、ただ公式に当てはめて答えを出す、解答を丸暗記する、ということでしょうか。学校、塾、家庭、本人のどれが悪いのかわかりませんが(「本人が悪い」がどういうことかを考えると哲学的ですが)、東大や医学部にそれなりに合格する高校でも、下位層には、教科書の説明とはかけ離れた、ルールを無視したデタラメな答案を書くクセがついている人が多いです。「骨から強くなっていない」「他人のいいところだけをつまんで自分の栄養にしようとしている」「強い人の打った手だからといって意味もわからずマネしている」から、学年が上がるにつれて、成績は下がるのでしょう。藤沢秀行名誉棋聖や米長邦雄永世棋聖とは逆に。
 「思考力」といったものは置いておいて、「ルールの理解、遵守」「基本手筋の組み合わせ」くらいで東大に合格するのですけどね。

藤沢秀行プロフィール

 1925年6月14日生まれ。
 1977年、第1期棋聖戦から、50代で棋聖位を6連覇。毎年、自分が囲碁を教え、自宅で食事を食べさせていた若手が挑戦してくる。1983年失冠。直後に吐血し、ガンが発見される。計3度のガンから生還。
 1991年、王座位を獲得。翌年、67歳で防衛。いまだ史上最年長タイトル保持記録。
 1998年、引退。
 2009年5月8日、誤嚥性肺炎により死去。83歳。  

 

この記事を書いた人

大学受験塾チーム番町(日本棋院から直線で130m、日本棋院の住所は五番町で大学受験塾チーム番町と同じ。)代表。東大卒。
指導した塾生の進学先は、東大、京大、国立医学部など。
指導した塾生の大学卒業後の進路は、医師、国家公務員総合職(キャリア官僚)、研究者など。学会(日本解剖学会、セラミックス協会など)でアカデミックな賞を受賞した人も複数おります。
40人クラスの33位での入塾から、東大模試全国14位になった塾生もいました。

 

Twitter

タイトルとURLをコピーしました