【感想・書評】アームストロング砲(司馬遼太郎):数学と理科を勉強する重要性

 

大学受験塾チーム番町 市ヶ谷駅66m 東大卒の塾長による個別指導

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花神(司馬遼太郎、新潮文庫)

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【感想・書評】アームストロング砲(司馬遼太郎):数学と理科を勉強する重要性

 

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『アームストロング砲』の著者と実績

 著者は歴史小説の大家、司馬遼太郎さんです。司馬遼太郎さんは、他にも『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『翔ぶが如く』『花神』といった、ベストセラーや、NHK大河ドラマ、スペシャルドラマにもなった、多くの有名な歴史小説を書いています。
 歴史小説家としての実績は、日本史上、屈指の存在でしょう。

 

『アームストロング砲』の感想、書評 

 文庫本の題名が『アームストロング砲』なのですが、この文庫は短編集で、その中に『アームストロング砲』という短編があります。

 

思想よりもアームストロング砲

 明治維新は「薩長土肥」と言われます。
 肥前佐賀藩は何をしたか知っていますか?司馬遼太郎さんによると、幕末の佐賀藩は「軍隊の制度も兵器も、ほとんど西欧の二流国なみに近代化されていた」とのことです。鳥羽伏見の戦いで薩長が幕府軍に勝った後、佐賀藩はその軍事力を薩長に提供しました。

 幕末の佐賀藩の殿様、鍋島閑叟(かんそう)は、「産業開発のために藩の秀才を選抜して、英語、数学、物理、化学、機械学を学ばせ」たそうです。なぜでしょうか?
 幕末の日本は、尊王・佐幕、攘夷・開国といった、思想の議論が盛んでした。一方、鍋島閑叟は、科学力に基づく経済力、軍事力がなければ始まらない、と見抜いていたのだと思います。
史実か創作かはわかりませんが、司馬遼太郎さんは、鍋島閑叟に

「長州人にいたっては空想空論の舌さき三寸で天下の事が成ると思っている」

と言わせています。天下の事は技術を持って成す、という思想は、後述する、戊辰戦争の総司令官、元は長州の村医者の大村益次郎と似ていると思います。

 ただ、現在、大学の先生や教育界の気鋭の指導者の中での通説では、たとえば、「医師の親が子に『医学部に入れ』などと言って、勉強を強いるのは(どちらの行為も)逆効果、とされます。また、シリコンバレーでは、親が子に、早くからプログラミングを学ばせたところ、子は大学で哲学を専攻してしまった、などという話もあるようです。佐賀藩の場合、殿様と家来という関係だから、なんとか成立していたのでしょうね。実際に、発狂してしまった佐賀藩士も描かれています。なんだ、幕末も、現在も、教育事情は、大して変わらないではないか、と思いました。

 大学受験塾チーム番町でも、塾で授業を行うのは、英語、数学、物理、化学です。また、STEM教育への取り組みとして、プログラミング、電子工作をおすすめしています。塾長も、有史以来、国力を決めるのは、科学力だと思っています。何千年もの昔、鉄器文明の勢力は、青銅器文明の勢力を駆逐したのです。思想としては、鍋島閑叟と同じなのだと思います。

 

アームストロング砲の製造?

 小説『アームストロング砲』では、佐賀藩でアームストロング砲を製造したことになっています。これは史実かどうかはわからないようです[1]。ただし、小説なので、創作は許されます。
 司馬遼太郎さんは、佐賀藩と言えども、アームストロング砲を製造するには乏しすぎる科学力で、必死にアームストロング砲を研究、開発する佐賀藩士を描くことによって、現在の日本人に奮起を促したのではないでしょうか。

  

戊辰戦争とアームストロング砲

 戊辰戦争が始まり、鍋島閑叟はやっと上洛します。そこで、かつて「舌さき三寸で天下の事が成る」という思想で奔走していたであろう、長州の桂小五郎に、佐賀藩の軍隊を官軍の主勢力とすることを懇願され、鍋島閑叟は、中立を破り、薩長側につきます。
 鍋島閑叟は、勝ち組に入るために、このタイミングを待っていて、「薩長土肥」に入ることができ、してやったりのでしょうか。それとも、胸中は、なにか複雑、虚しさのようなものがあったのでしょうか。
 同じ九州で、関ヶ原の戦いの時、黒田官兵衛は、九州を切り取って、独立しようと思っていた、という説がありますよね。鍋島閑叟も、似たようなことを考えていたかどうか…。    

 その後、江戸城は無血開城されます。それに不満の幕臣は彰義隊を結成し、新政府軍との上野戦争が勃発します。その時、佐賀藩の「アームストロング砲」は加賀屋敷、つまり、現在の東京大学本郷キャンパスに設置され、勝敗を決した、とのことです。塾長は、一時期、不忍池を通って本郷キャンパスに通っていた時期があり、この話は身近に感じます。その後も、北陸、東北戦線で、鍋島閑叟が育てた佐賀藩の軍事力は、大いに活躍したそうです。
 戦争が良いこととは思いませんが、鍋島閑叟が数学、理科で育てた軍事力により、日本の内戦が短期間で終わったならば、やはり、鍋島閑叟は偉大なのではないか、と思いました。

 司馬遼太郎さんは、いくつか、科学技術もテーマに含んだ歴史小説を書いているよう です。
 『花神(かしん)』(1977年NHK大河ドラマ)は、先述の上野戦争の新政府軍の司令官である大村益次郎が主人公です。大村益次郎は、靖国神社(千代田区九段、大学受験塾チーム番町から800m)に銅像が立っています。像から番町側で、「鳩居堂」という蘭学の塾を開いていた時期もあります。おそらく、数学、物理学、化学も教えていたのではないかと思われます。
 大村益次郎は、第二次幕長戦争の長州の司令官でもありました。
幕府軍の先鋒が戦国さながらの甲冑と火縄銃で現れたのに対し、長州軍はミニエー銃という性能の良い銃を持ち、大村益次郎がオランダ語で読んだ兵学を実践したのでした。

 

数学と理科を勉強しよう

 司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』(2009~2011年NHKスペシャルドラマ)は日露戦争が描かれます。
 日露戦争の日本海海戦の勝因としては、日本の戦法、徹底した訓練、などの他に、伊集院信管、下瀬火薬、無線電信機、海底ケーブル、などの新技術が挙げられるようです。

 「産業開発のために藩の秀才を選抜して、英語、数学、物理、化学、機械学を学ばせ」た。太平洋戦争では、日本では原爆を落とされました。現在、日本には、GAFAMのような企業はありません。 
 日露戦争後、あるいは、「失われた30年」の日本にもうひとつ欠けていたのは、このような姿勢ではないでしょうか。
 そして現在、一部の高校では、早めに数学、理科を捨て、早慶、GMARCH文系の合格者で高校のブランドづくりをしています。日本国は、このようなことで大丈夫なのでしょうか?

 司馬遼太郎さんは、足掛け15年戦争に従軍しています。そして、終戦後「なんとくだらない戦争をしてきたのか」「昔の日本人は、もう少しましだったのではないか」と思ったそうです。このような思いが、鍋島閑叟や大村益次郎のような合理主義者を主人公とした小説の執筆に駆り立てたのではないでしょうか。そして、二度と同じ過ちを犯さないように、日本人に訴えたかったのではないでしょうか。

 ちなみに、司馬遼太郎さんは、鍋島閑叟を描いた『肥後の妖怪』(『酔って候』(文春文庫)に収録)という短編小説も書いています。

 

出版社の実績と信頼性

 『アームストロング砲』の出版社は講談社です。小学館・集英社とともに、日本の三大出版社と呼ばれます。「週刊少年マガジン」のような漫画雑誌から、本書のような文庫本まで、幅広く出版しています。
 講談社の実績、信頼性は絶大と言えます。

 

この記事を書いた人

大学受験塾チーム番町代表。東大卒。
指導した塾生の進学先は、東大、京大、国立医学部など。
指導した塾生の大学卒業後の進路は、医師、国家公務員総合職(キャリア官僚)、研究者など。学会(日本解剖学会、セラミックス協会など)でアカデミックな賞を受賞した人も複数おります。
40人クラスの33位での入塾から、東大模試全国14位になった塾生もいました。

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