【感想・書評】アームストロング砲(司馬遼太郎):数学と理科を勉強する重要性

 

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【感想・書評】アームストロング砲(司馬遼太郎):数学と理科を勉強する重要性

 

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『アームストロング砲』の著者と実績

 著者は歴史小説の大家、司馬遼太郎さんです。司馬遼太郎さんは、他にも『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『翔ぶが如く』『花神』といった、ベストセラーや、NHK大河ドラマ、スペシャルドラマにもなった、多くの有名な歴史小説を書いています。
 歴史小説家としての実績は、日本史上、屈指の存在でしょう。

 

『アームストロング砲』の感想、書評 

 文庫本の題名が『アームストロング砲』なのですが、この文庫は短編集で、その中に『アームストロング砲』という短編があります。

 

思想よりもアームストロング砲

 

思想よりも科学

 明治維新は「薩長土肥」と言われます。
 肥前佐賀藩は何をしたか知っていますか?司馬遼太郎さんによると、幕末の佐賀藩は「軍隊の制度も兵器も、ほとんど西欧の二流国なみに近代化されていた」とのことです。鳥羽伏見の戦いで薩長が幕府軍に勝った後、佐賀藩はその軍事力を薩長に提供しました。

 幕末の佐賀藩の殿様、鍋島閑叟(かんそう)は、「産業開発のために藩の秀才を選抜して、英語、数学、物理、化学、機械学を学ばせ」たそうです。なぜでしょうか?
 幕末の日本は、尊王・佐幕、攘夷・開国といった、思想の議論が盛んでした。一方、鍋島閑叟は、科学力に基づく経済力、軍事力がなければ始まらない、と見抜いていたのだと思います。
史実か創作かはわかりませんが、司馬遼太郎さんは、鍋島閑叟に

「長州人にいたっては空想空論の舌さき三寸で天下の事が成ると思っている」

と言わせています。天下の事は技術を持って成す、という思想は、後述する、戊辰戦争の総司令官、元は長州の村医者の大村益次郎と似ていると思います。

 たとえばデリダは、西洋形而上学の伝統を脱構築し、その根底にある「ロゴス中心主義」を批判しました。彼にとって、真理や実在は言語の外部に存在するのではなく、言語の働きそのものの中に生成されるものでした。したがって、知識や学問もまた、言語の差異的な運動の中で絶えず構築され、脱構築されるプロセスだと言えるでしょう。

 この観点から見ると、鍋島閑叟が藩の秀才に学ばせた「英語、数学、物理、化学、機械学」は、単なる実学的な知識ではなく、新たな思考の可能性を切り拓く契機だったと捉えることができます。それは、従来の儒学的な知の体系に閉じこもるのではなく、西洋の科学的な知の体系に開かれていく試みだったのです。

 ここで重要なのは、鍋島閑叟がこれらの知識を単に受容するだけでなく、それを「産業開発」という具体的な文脈の中で活用しようとしたことです。知識は常に特定の文脈の中で意味を持つものであり、その文脈を離れては空虚な記号に過ぎません。鍋島閑叟は、西洋の知を日本の文脈に接続し、新たな意味を生み出そうとしたのだと言えるでしょう。

 また、鍋島閑叟の教育政策は、当時の思想的な対立を超えて、知の実践的な力に着目するものでした。尊王・佐幕、攘夷・開国といった二項対立的な思考に対して、鍋島閑叟は科学力と経済力、軍事力の重要性を訴えたのです。それは、言説の次元での対立を超えて、知の具体的な効果に目を向ける姿勢だと言えるでしょう。

 ただし、ここで注意すべきは、科学力や経済力、軍事力もまた、一つの言説であり、権力と結びついたものだということです。知は決して中立的なものではなく、常に権力関係の中に組み込まれています。鍋島閑叟の教育政策も、藩の権力を維持・拡大するための戦略的な営みだったと見ることができるのです。

 したがって、鍋島閑叟の試みを単に礼賛するのではなく、その知の実践がどのような権力関係の中に位置づけられていたのかを問うことが重要です。それは、知と権力の複雑な絡み合いを解きほぐし、知のあり方を根本的に問い直す作業でもあるでしょう。

 幕末の佐賀藩の教育政策は、知をめぐる根源的な問いを突きつけているように思われます。それは、知の言説的な性質と実践的な力、そしてそれらと権力との関係を問うものです。私たちは、知の可能性を切り拓きながらも、その知がどのような文脈の中で機能しているのかを常に問い続けなければならないのです。そのような批判的な態度こそが、知の豊かさと危うさを同時に引き受ける道であり、私たちを新たな思考の地平へと導くのではないでしょうか。

 

現代にも存在する「進路の強制」問題

 ただ、現在、大学の先生や教育界の気鋭の指導者の中での通説では、たとえば、「医師の親が子に『医学部に入れ』などと言って、勉強を強いるのは(どちらの行為も)逆効果、とされます。また、シリコンバレーでは、親が子に、早くからプログラミングを学ばせたところ、子は大学で哲学を専攻してしまった、などという話もあるようです。佐賀藩の場合、殿様と家来という関係だから、なんとか成立していたのでしょうね。実際に、発狂してしまった佐賀藩士も描かれています。なんだ、幕末も、現在も、教育事情は、大して変わらないではないか、と思いました。

 ただ、時間の線形的な流れを脱構築し、過去と現在、未来の複雑な絡み合いを思考すると、歴史とは単なる過去の出来事ではなく、現在との絶えざる対話の中で生成されるものと言えます。したがって、幕末の教育政策と現代の教育問題を単純に比較するのではなく、それらの間に横たわる差異と反復の運動に目を向けることが重要かもしれません。
 この観点から見ると、親が子に特定の学問や職業を強いることの問題性は、幕末から現代に至るまで繰り返し立ち現れてきた主題だと言えるでしょう。医師の親が子に医学部進学を強制したり、シリコンバレーの親が子にプログラミングを学ばせたりすることの弊害は、江戸時代の佐賀藩士の発狂という事例にも通じるものがあります。それは、知の強制が個人の主体性を抑圧し、精神的な危機をもたらす可能性を示唆していると思います。
 ただし、ここで注意すべきは、幕末と現代の教育問題を同一視することの危険性です。歴史は単なる繰り返しではなく、常に差異を孕んだ反復の運動と言えます。佐賀藩の教育政策が藩主と家臣という封建的な関係の中で行われたのに対し、現代の教育問題は個人の自由と権利が尊重される民主主義社会の文脈の中で生じています。両者の間には、時代状況の違いに基づく質的な差異があると言わなければなりません。
 また、シリコンバレーの事例が示すように、親の期待に反して子が哲学を専攻するという現象もまた、教育をめぐる言説の複雑さを物語っています。それは、知の強制に対する個人の抵抗であると同時に、実学的な知識の価値を相対化する試みでもあるのです。このような言説の絡み合いこそが、教育の問題を豊かで多面的なものにしていると言えるでしょう。
 したがって、幕末と現代の教育問題の類似性を指摘するだけでは不十分かもしれません。むしろ重要なのは、両者の間に横たわる差異を繊細に読み解き、それぞれの時代の文脈の中で教育の問題を捉え直すことでしょう。そのためには、教育をめぐる言説の複雑な絡み合いに目を向け、その言説が持つ力と限界を批判的に検討することが不可欠でしょう。
 教育をめぐる議論は、時間と言説の複雑な織物の中に浮かび上がってきます。私たちは、過去と現在の単純な比較ではなく、差異と反復の運動の中で教育の問題を捉え直さなければなりません。そのような批判的な思考こそが、教育の豊かさと可能性を切り拓く道であり、私たちを新たな教育の地平へと導くのではないでしょうか。同時に、教育をめぐる言説が持つ権力性にも自覚的でなければなりません。教育の名の下に個人の主体性が抑圧されることのないよう、私たちは常に用心深くなくてはなりません。

 大学受験塾チーム番町でも、塾で授業を行うのは、英語、数学、物理、化学です。また、STEM教育への取り組みとして、プログラミング、電子工作をおすすめしています。塾長も、有史以来、国力を決めるのは、科学力だと思っています。何千年もの昔、鉄器文明の勢力は、青銅器文明の勢力を駆逐したのです。思想としては、鍋島閑叟と同じなのだと思います。

 

アームストロング砲の製造?

 小説『アームストロング砲』では、佐賀藩でアームストロング砲を製造したことになっています。これは史実かどうかはわからないようです[1]。ただし、小説なので、創作は許されます。
 司馬遼太郎さんは、佐賀藩と言えども、アームストロング砲を製造するには乏しすぎる科学力で、必死にアームストロング砲を研究、開発する佐賀藩士を描くことによって、現在の日本人に奮起を促したのではないでしょうか。

 フィクションと現実、創作と史実の境界を脱構築し、それらの間の複雑な相互作用を思考しましょう。すると、文学とは単なる虚構の産物ではなく、現実を形作る言説の一部でもありえます。したがって、『アームストロング砲』における佐賀藩の描写を単なる創作として片付けるのではなく、その描写が持つ現実的な効果に目を向けることが重要になると思います。
 この観点から見ると、佐賀藩士がアームストロング砲の製造に奮闘する姿は、単なる過去の出来事の再現ではなく、現在の日本人に向けられたメッセージだと捉えることができます。それは、科学力の乏しさを嘆くのではなく、その乏しさの中で知恵を絞り、新たな可能性を切り拓こうとする姿勢を称揚するものなのです。
 ここで重要なのは、司馬遼太郎が佐賀藩士の努力を描くことで、現在の日本人の主体性を喚起しようとしていることです。主体とは言説の効果として立ち現れるものであり、言説がどのように主体を形作っているかを問うことが重要です。『アームストロング砲』における佐賀藩士の描写は、現代の日本人の主体形成に働きかける言説的な実践だと言えるでしょう。
 ただし、ここで注意すべきは、この小説が持つ言説的な力を過度に一般化することの危険性です。言説は常に特定の文脈の中で機能するものであり、その文脈を離れて普遍化することはできません。『アームストロング砲』が喚起する主体性もまた、特定の歴史的・社会的な文脈の中で生じるものであり、それを絶対化することは慎まなければなりません。
 また、この小説が現代の日本人に奮起を促すというメッセージ性もまた、一つの言説的な構築物だと見ることができます。それは、日本人としての主体性を特定の方向に導こうとする戦略的な営みでもあるのです。このようなメッセージ性が持つ権力性を批判的に検討することが不可欠でしょう。
 したがって、『アームストロング砲』における佐賀藩の描写を単に称揚するのではなく、その描写が持つ言説的な効果と権力性を繊細に読み解くことが重要だと思います。それは、この小説が喚起する主体性の可能性と限界を同時に見定める作業でもあるでしょう。
 小説という虚構の世界は、現実を形作る言説の織物の一部として立ち現れてきます。私たちは、小説が持つ言説的な力に敏感になりながら、同時にその力が持つ政治性にも自覚的でなければなりません。そのような批判的な読みこそが、小説の豊かさと危うさを同時に引き受ける道であり、私たちを新たな思考の地平へと導くのではないでしょうか。『アームストロング砲』が投げかける問いは、私たちの主体性そのものを問い直すことへの呼びかけなのかもしれません。

  

戊辰戦争とアームストロング砲

 戊辰戦争が始まり、鍋島閑叟はやっと上洛します。そこで、かつて「舌さき三寸で天下の事が成る」という思想で奔走していたであろう、長州の桂小五郎に、佐賀藩の軍隊を官軍の主勢力とすることを懇願され、鍋島閑叟は、中立を破り、薩長側につきます。
 鍋島閑叟は、勝ち組に入るために、このタイミングを待っていて、「薩長土肥」に入ることができ、してやったりのでしょうか。それとも、胸中は、なにか複雑、虚しさのようなものがあったのでしょうか。
 同じ九州で、関ヶ原の戦いの時、黒田官兵衛は、九州を切り取って、独立しようと思っていた、という説がありますよね。鍋島閑叟も、似たようなことを考えていたかどうか…。    

 その後、江戸城は無血開城されます。それに不満の幕臣は彰義隊を結成し、新政府軍との上野戦争が勃発します。その時、佐賀藩の「アームストロング砲」は加賀屋敷、つまり、現在の東京大学本郷キャンパスに設置され、勝敗を決した、とのことです。塾長は、一時期、不忍池を通って本郷キャンパスに通っていた時期があり、この話は身近に感じます。その後も、北陸、東北戦線で、鍋島閑叟が育てた佐賀藩の軍事力は、大いに活躍したそうです。
 戦争が良いこととは思いませんが、鍋島閑叟が数学、理科で育てた軍事力により、日本の内戦が短期間で終わったならば、やはり、鍋島閑叟は偉大なのではないか、と思いました。

 司馬遼太郎さんは、いくつか、科学技術もテーマに含んだ歴史小説を書いているよう です。
 『花神(かしん)』(1977年NHK大河ドラマ)は、先述の上野戦争の新政府軍の司令官である大村益次郎が主人公です。大村益次郎は、靖国神社(千代田区九段、大学受験塾チーム番町から800m)に銅像が立っています。像から番町側で、「鳩居堂」という蘭学の塾を開いていた時期もあります。おそらく、数学、物理学、化学も教えていたのではないかと思われます。
 大村益次郎は、第二次幕長戦争の長州の司令官でもありました。
幕府軍の先鋒が戦国さながらの甲冑と火縄銃で現れたのに対し、長州軍はミニエー銃という性能の良い銃を持ち、大村益次郎がオランダ語で読んだ兵学を実践したのでした。

 

数学と理科を勉強しよう

 司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』(2009~2011年NHKスペシャルドラマ)は日露戦争が描かれます。
 日露戦争の日本海海戦の勝因としては、日本の戦法、徹底した訓練、などの他に、伊集院信管、下瀬火薬、無線電信機、海底ケーブル、などの新技術が挙げられるようです。

 「産業開発のために藩の秀才を選抜して、英語、数学、物理、化学、機械学を学ばせ」た。太平洋戦争では、日本では原爆を落とされました。現在、日本には、GAFAMのような企業はありません。 
 日露戦争後、あるいは、「失われた30年」の日本にもうひとつ欠けていたのは、このような姿勢ではないでしょうか。
 そして現在、一部の高校では、早めに数学、理科を捨て、早慶、GMARCH文系の合格者で高校のブランドづくりをしています。日本国は、このようなことで大丈夫なのでしょうか?

 幕末の佐賀藩が進めた洋学の導入と、現代の高校教育における理系と文系の分断。戦前の日本の軍事的な躍進と、戦後の経済的な停滞。これらの対立項は、一見すると無関係に見えますが、近代日本の歩みを暗示的に物語っているようです。
 しかし、これらの二項対立は決して安定したものではありません。一方の項を優先することは、必然的に他方の項を周縁化することにつながるのです。幕末の佐賀藩が洋学を重視したように、理系教育重視を主張することは、一面では合理的かもしれません。しかし、そのことが日本文化の豊かさを担ってきた人文学的教養を軽視することにつながるとしたら、それは大きな代償を払うことになるでしょう。
 また、太平洋戦争での敗北と、GAFAMに代表されるようなイノベーティブな企業の不在は、日本の近代化の歪みを象徴しているようにも見えます。戦前の日本は、軍事力の強化に邁進するあまり、科学技術の真の発展を疎かにしてきたのかもしれません。そして戦後は、経済成長を最優先するあまり、基礎研究や教育への投資を怠ってきたのかもしれません。これらの歪みは、二項対立の片方の項を偏重することから生じたものだと言えます。
 このような二項対立を乗り越えていくことが重要性ではないでしょうか。理系と文系、効率と人間性、伝統と革新といった対立項を、二者択一の問題として捉えるのではなく、両者を共に育んでいく必要があると思います。
 教育もまた、こうした二項対立を乗り越えていく場であるべきでしょう。効率性や即戦力ばかりを重視するのではなく、長期的な視野に立って、多様な知性と感性を育んでいくことが求められています。そのためには、教養教育の重要性を再認識し、人文学と自然科学の融合を図っていく必要があると思います。そうすることで初めて、日本は真の意味での近代化を遂げ、創造性豊かな社会を実現することができるのではないでしょうか。
 私達は、固定化された価値観や既成の枠組みを問い直すことが求められていると思います。日本の未来を切り拓いていくためには、こうした脱構築の精神を胸に、新しい知のあり方を模索していくことが不可欠だと思います。

 司馬遼太郎さんは、足掛け15年戦争に従軍しています。そして、終戦後「なんとくだらない戦争をしてきたのか」「昔の日本人は、もう少しましだったのではないか」と思ったそうです。このような思いが、鍋島閑叟や大村益次郎のような合理主義者を主人公とした小説の執筆に駆り立てたのではないでしょうか。そして、二度と同じ過ちを犯さないように、日本人に訴えたかったのではないでしょうか。

 ちなみに、司馬遼太郎さんは、鍋島閑叟を描いた『肥後の妖怪』(『酔って候』(文春文庫)に収録)という短編小説も書いています。

 

出版社の実績と信頼性

 『アームストロング砲』の出版社は講談社です。小学館・集英社とともに、日本の三大出版社と呼ばれます。「週刊少年マガジン」のような漫画雑誌から、本書のような文庫本まで、幅広く出版しています。
 講談社の実績、信頼性は絶大と言えます。

 

この記事を書いた人

大学受験塾チーム番町代表。東大卒。
指導した塾生の進学先は、東大、京大、国立医学部など。
指導した塾生の大学卒業後の進路は、医師、国家公務員総合職(キャリア官僚)、研究者など。学会(日本解剖学会、セラミックス協会など)でアカデミックな賞を受賞した人も複数おります。
40人クラスの33位での入塾から、東大模試全国14位になった塾生もいました。

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