経済学部志望の高校生が読む本:わかりやすい本、ノーベル賞学者の著書

 

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経済学部志望の高校生が読む本:わかりやすい本、ノーベル賞学者の著書

 

 高校の政治経済の経済分野くらいは、先に勉強したほうがいいかもしれません。

 中学生、高校生が、経済学の本を読んでみようと思った場合
1.大学の先生が書いた一般向け、大学標準レベルの本を読む
2.公務員試験などの予備校の先生が書いた本を読む
という選択肢があると思います。

 大学の先生の場合、専門家ですし、他の先生の厳しい目にさらされるがゆえに、内容の信頼性は高いでしょう。大学の先生にも、味のある、わかりやすい教科書を書かれる先生はいます。一方で、いい加減なことは書きにくいので、話が厳密で難しくなることもあると思います。ただ、初学者向けの本は、そんなに複雑な話にはならないだろうとは思います。また、大学の先生だからといって、内容の中立性が保たれているかはわかりません。

 予備校の先生の本のメリットはわかりやすさだと思います。内容の信頼性も、そう気にしなくてもいいのではないでしょうか。

 

ミクロ経済学、マクロ経済学の本

 

 経済学の基本の部分はミクロ経済学とマクロ経済学に分かれます。

 ミクロは小さいという意味です。個々の企業や家計の行動やある財、サービスの市場を分析します。

 マクロは大きいという意味です。国全体の経済を分析します。たとえば、一国全体の物価、総需要、総供給や国民所得、失業などの関係を考えます。

 欧米先進国は日本と違い、中央銀行や経済政策の担当者は経済学博士が普通だそうです。大学入学前の春休みに大学レベルのミクロ、マクロ経済学を勉強して、早く最先端の議論をできるようになりましょう!

 

スタンフォード大学で一番人気の経済学入門(かんき出版)ミクロ編、マクロ編

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池上彰さん監訳です。
「経済学入門」といったわかりやすそうな本は多いですが、この本は、一応、大学の経済学部で扱うような単元を数式、グラフをほとんど使わずに言葉でわかりやすく説明しているのが特長です。

「スタンフォード」とありますが教授が書いた本ではないです。

ミクロ編目次

イントロダクション 経済学の考え方
1.経済学とは何か
2.分業
3.需要と供給
4.価格統制
5.価格弾力性
6.労働市場
7.資本市場
8.個人投資
9.完全競争と寡占
10.独占禁止法
11.規制と規制緩和
12.負の外部性
13.正の外部性
14.公共財
15.貧困と福祉
16.格差問題
17.情報の非対称性
18.企業と政治のガバナンス

マクロ編目次

1.マクロ経済とGDP
2.経済成長
3.失業率
4.インフレ
5.国際収支
6.総需要と総供給
7.インフレ率と失業率
8.財政政策と財政赤字
9.景気対策
10.財政赤字と貯蓄率
11.お金と銀行
12.中央銀行と金融政策
13.金融政策の実践
14.自由貿易
15.保護貿易
16.為替相場
17.国際金融危機
18.世界経済をどう見るか

 

クルーグマンミクロ経済学(東洋経済新報社)
クルーグマンマクロ経済学(東洋経済新報社)

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クルーグマン先生はノーベル経済学賞受賞者です。
日本人はノーベル経済学賞を取れませんね。
分厚いし、高いですが、経済学の基本を例なども交え
わかりやすく解説しています。
このようなグローバルスタンダードの
テキストを読むのもいいでしょう。

他の科目もそうですが、日本より欧米のほうが面白い教科書を書かれる先生が多いような気がします。

 

速習!ミクロ経済学(中央経済社)
速習!マクロ経済学(中央経済社)

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公務員試験用の教材です。
本の内容全体について
わかりやすいYoutube講義を見ることができます。

おそらく、中学2年生の数学の教科書の「一次関数」がわかれば、知識ゼロからで
理解できると思います。

一次関数は「傾き」が一定な直線です。
それに対し、曲線はそれぞれの地点で傾きが異なります。
「微分」とは、「その地点の「傾き」を求めること」です。
この程度の理解で
さらにわかりやすくなると思います。

 

簿記の本

 

「簿記を学ぶと世の中の見え方が変わる」と言う人もいます。
会社の財務に関する様々な数字なども理解することができます。
大学入学前の春休みに簿記3級の勉強をしてはどうでしょう。

 

スッキリわかる日商簿記初級(TAC)

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簿記3級以前の基本の基本の部分をわかりやすく解説しています。

 

スッキリわかる日商簿記3級(TAC)

簿記3級の教材で一番評価が高いのは「スッキリわかる」でしょうか。
べつに講義動画は要らないという人はこちらでいいでしょう。

テキストを理解し、テキストの問題をできなかった問題にチェックを付けつつ全問解けるようにして過去問も同様に全問解けるようにすれば、簿記3級に余裕で合格するでしょう。

 

財政学、経営学の本

 

財政学も経営学も、まずまず内容の中立性が保たれ、レベルも標準的な大学の先生が書いた本は
あると思いますが、手っ取り早いのは、公務員試験の過去問の答を読むことだと思います。

答の解説は予備校の先生が書いているかもしれませんが、問題は公的な機関が作っているので内容はまずまず中立的でしょうし、レベルも大学標準レベルです。

ちなみに、先述のミクロ経済学、マクロ経済学は、なじみのない専門用語、概念が多いので、ここで述べている、いきなり公務員試験の答を読む方法は無理だと思います。
財政学、経営学は可能だと思います。
仮に、答の解説中に、わからない用語があっても、要点をまとめている部分で説明されていると思います。

ただし、財政学は後半は、ミクロ経済学、マクロ経済学の知識が前提となります。

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高校生が経済学を学ぶこととニーチェ

 高校生が大学レベルの経済学の基本を学ぶことは、ニーチェの思想を通して見ると、単なる知識の習得以上の意味を持ちます。それは、彼らの精神的な成長と、社会に対する深い洞察力を育むための重要な過程なのです。

 ニーチェは、「力への意志」を重視しました。これは、自らの潜在能力を最大限に発揮し、困難に立ち向かう勇気と情熱を意味します。高校生にとって、大学レベルの経済学は、まさに知的な挑戦といえるでしょう。この難しい課題に取り組むことで、彼らは自分自身の限界を乗り越え、新たな思考の地平を切り開いていくのです。

 また、ニーチェは「パースペクティヴィズム」の重要性を説きました。これは、物事には多様な見方があり、絶対的な真理などないという考え方です。経済学を学ぶことは、社会現象を多角的に捉える視点を養うことにつながります。高校生は、経済という切り口から世界を眺めることで、今まで気づかなかった社会の側面を発見するでしょう。この多様な視点を持つことは、ニーチェが理想とした「超人」への第一歩となるのです。

 ニーチェは、「創造性」の尊さについても語りました。既存の価値観に囚われず、自ら新たな価値を生み出すことが、彼の思想の核心にあります。経済学の基本を学ぶことは、高校生にとって、単に既存の理論を受け入れるだけではなく、自分なりの解釈と応用を試みる機会となるはずです。彼らは、経済の原理を創造的に用いることで、社会の問題解決に寄与する新たなアイデアを生み出すことができるのです。

 さらに、ニーチェは「教育」の在り方についても独自の見解を示しました。彼は、既存の教育システムを批判し、個人の潜在能力を引き出す教育の必要性を訴えました。大学レベルの経済学を高校生に教えることは、彼らの知的好奇心を刺激し、自発的な学びへと導く試みと言えるでしょう。この経験は、彼らが生涯にわたって学び続ける姿勢を身につける上で、大きな意味を持つはずです。

 ただし、ニーチェは「ニヒリズム」の脅威についても警鐘を鳴らしました。高度な経済学の概念に触れることで、高校生が現実社会の複雑さに圧倒され、虚無感に陥る危険性もあります。そこで重要なのは、教師による適切なサポートと、学びのプロセスを通じた精神的な成長の促進です。高校生が経済学を学ぶ中で、自らの存在意義を見出し、社会に対する責任感を育めるよう導くことが肝要なのです。

 高校生が大学レベルの経済学を学ぶことは、ニーチェの思想に照らせば、彼らの人格形成にとって重大な意義を持ちます。それは、知的な挑戦を通じて「力への意志」を育み、多様な視点から世界を捉える「パースペクティヴィズム」を身につける過程なのです。さらに、経済学の創造的な応用を通じて、彼らは社会に新たな価値をもたらす「超人」へと成長していくでしょう。

 もちろん、この学びの過程では、ニヒリズムの影が付きまといます。しかし、それこそが教師の役割なのです。高校生の精神的な成長を支え、彼らが知識を通じて自らの人生の意味を見出せるよう、献身的に導いていかなければなりません。

 ニーチェの思想は、高校生が経済学を学ぶ意義を、個人の成長と社会の発展という広い文脈の中に位置づけてくれます。この学びは、単なる知識の習得ではなく、彼らが「超人」へと至る道を切り拓く、人生の重要な一歩なのです。私たち教師は、この意義を深く理解し、情熱を持って高校生の知的冒険を支えていく必要があるでしょう。それこそが、ニーチェの思想が教育に投げかける、大いなる挑戦なのです。

 

高校生が経済学を学ぶことと構造主義

 構造主義の観点から見ると、高校生が大学レベルの経済学を学ぶことは、教育制度という構造の中で、知識の階層化と権力関係を浮き彫りにする行為であると言えます。

 大学レベルの経済学は、高度な専門知識であり、通常は大学という高等教育機関で教授されるものです。この知識が高校生に提供されるということは、教育制度という構造の中で、知識の序列化が行われていることを示唆しています。つまり、経済学という知識が、他の知識よりも優位に位置づけられ、その習得が特権的な地位につながるという認識が存在しているのです。

 また、高校生が大学レベルの知識を学ぶことは、教育制度の中で、生徒と教師の関係性にも影響を与えます。通常、高校教育では、教師が知識を持ち、生徒はそれを受動的に吸収するという構図が成立しています。しかし、大学レベルの知識を高校生が学ぶことで、この構図が崩れ、生徒と教師の権力関係が変化する可能性があります。生徒は、教師と同等の知識を持つことで、教師に挑戦することができるようになるかもしれません。

 さらに、経済学という学問が、資本主義という大きな構造の中で、特権的な地位を占めていることにも注目する必要があります。経済学は、市場の原理を分析し、経済政策を立案するための学問であり、その知識は、社会の意思決定に大きな影響力を持っています。高校生が経済学を学ぶことは、彼らが将来、社会の中で重要な役割を担う可能性があることを示唆しているのです。

 以上のように、高校生が大学レベルの経済学を学ぶことは、教育制度という構造の中で、知識の階層化と権力関係を浮き彫りにする行為であると同時に、資本主義という大きな構造の中で、特権的な地位を占める学問を習得することでもあります。私たちは、このような構造的な問題を認識した上で、教育のあり方を考えていく必要があるのではないでしょうか。

 

高校生が経済学を学ぶこととハイデガー

 高校生が大学レベルの経済学の基本を学ぶことは、ハイデガーの思想の観点から見ると、現存在(Dasein)としての高校生が自らの存在の可能性を切り開いていく営みとして捉えることができます。

 高校生は、学校という世界の中に「投げ込まれ」、そこで様々な知識や技能を学ぶことを求められています。経済学もまた、そうした学びの対象の一つです。しかし、大学レベルの経済学を学ぶことは、単に知識を獲得するだけにとどまらない意味を持っています。

 ハイデガーは、現存在が世界の中で出会うものを「道具(Zeug)」と呼び、それが現存在の存在可能性を開示していくと考えました。大学レベルの経済学もまた、高校生にとっての「道具」となり得るのです。それは、社会という世界の仕組みを理解し、そこでの自らの在り方を問い直すための手がかりとなります。

 また、ハイデガーは、現存在が本来的な在り方を取り戻すためには、「死への先駆的決意性(Vorlaufen zum Tode)」が必要だと説きました。これは、自らの有限性を直視し、そこから逆照的に自らの存在の意味を見出すことを意味します。大学レベルの経済学を学ぶことは、高校生が自らの将来の可能性と限界を見据え、そこから現在の学びの意味を問い直すための契機ともなり得るのです。

 ただし、ここで重要なのは、高校生が経済学を学ぶことを通じて、自ら思考し、理解を深めていくことです。ハイデガーが批判したように、現存在は日常的に没入している世界の平均的な在り方に埋没し、自らの存在の本来性を見失ってしまう危険性があります。大学レベルの経済学を学ぶことが、そうした非本来的な在り方を助長してしまうこともあり得るのです。

 だからこそ、高校生には、経済学を学ぶ中で、常に自らの存在の意味を問い直し、本来的な在り方を追求していく姿勢が求められるのです。教師もまた、高校生がそうした姿勢を持てるよう、支援していく必要があります。

 このように、高校生が大学レベルの経済学を学ぶことは、現存在としての高校生が自らの存在可能性を切り開いていく営みとして捉えることができます。それは、社会という世界と自らの存在の意味を問い直すための「道具」であり、本来的な在り方を追求するための契機なのです。高校生には、経済学を通じて自ら思考し、理解を深めていくことが求められているのです。

 

高校生が経済学を学ぶこととデリダ

 高校生が大学レベルの経済学の基本を学ぶことは、一見、教育の早期化や高度化として捉えられがちです。より専門的な知識を早い段階で習得することが、学習者の知的成長を促すように見えます。しかし、この状況の背後には、「教育」や「知識」という概念そのものの脱構築を促す様々な力学が潜んでいます。

 まず、「大学レベル」という言葉が示唆するのは、知識の階層化や序列化です。大学での学びは高校よりも高度で価値があるとみなされ、そこで扱われる知識は特権化されます。しかし、果たして知識とは、そのように階層化され、序列化されるべきものなのでしょうか。むしろ、知識は常に横断的で脱領域的なものではないでしょうか。大学レベルの経済学を高校生が学ぶことは、知識の階層性を脱構築し、新たな学びの可能性を切り拓く契機となり得るのです。

 また、「基本」という言葉は、しばしば知識の本質化や固定化を招きがちです。経済学の基本を学ぶことで、その学問の核心を捉えられるという幻想が生まれます。しかし、知識とは本来、流動的で変化し続けるものではないでしょうか。経済学の基本を学ぶことは、かえってその学問の多様性や可変性を覆い隠してしまう危険性があります。高校生が経済学を学ぶことは、知識の固定化に抗い、その学問の新たな地平を切り拓く試みとして捉え直すことができます。

 さらに、高校生が大学レベルの経済学を学ぶことは、教育のあり方そのものを問い直す契機となります。教育とは、単に既存の知識を伝達することではなく、学習者の主体的な探究を支援する営みではないでしょうか。高校生が自ら進んで経済学を学ぶことは、従来の受動的な学習観を脱構築し、能動的な学びの可能性を示唆しています。それは、教育の意味や目的を根源的に問い直す出来事なのです。

 以上のように、高校生が大学レベルの経済学の基本を学ぶことは、知識の階層性、学問の固定化、教育の受動性など、様々な問題系を孕んでいます。これらの問題系を脱構築的に読み解くことで、教育や学問の根源的な問い直しが可能になります。知識の横断性を肯定し、学問の流動性を受け入れること。能動的な学びを促し、教育の意味を更新すること。そのような営みを通して、高校生の経済学習はその可能性を拡張していくのです。一見些細な出来事が、教育や学問のあり方を根底から問い直す契機となります。そこにこそ、脱構築の生産的な力が宿っているのです。

 

この記事を書いた人

大学受験塾チーム番町代表。東大卒。
指導した塾生の進学先は、東大、京大、国立医学部など。
指導した塾生の大学卒業後の進路は、医師、国家公務員総合職(キャリア官僚)、研究者など。学会(日本解剖学会、セラミックス協会など)でアカデミックな賞を受賞した人も複数おります。
40人クラスの33位での入塾から、東大模試全国14位になった塾生もいました。

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